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2012年5月19日 (土)

人を殺す神

  「聖書ではやたらに人を殺す神」
  2012年5月11日、毎日新聞㋨「仲畑流万能川柳」で目にとまった川柳です。確かに旧約聖書を読むと、戦争の話が多いし、神が人を罰して滅ぼす話も目立ち、また神が命令して他の民族を殲滅させる話も出てきます。[殲滅}はたとえば、次の箇所がその代表例です。 ; あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、 あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。 彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。 あなたの息子を引き離してわたしに背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。(申命記7.1-4)
  この箇所は非常にわかりにくい。どう解釈したらいいでしょうか?非常に偏狭な民族主義ですね。現代でもパレスチナの扮装は絶えませんが、もしかして、この神の命令が今も働いているのかも?神が命じたのでイスラエルはパレスチナを占領した、というイスラエル側の論理を、アラブ人は到底、納得しないででしょう。同じ唯一の神を信じるイスラム教徒とユダヤ教徒が争い殺しあうのを見れば、多神教の風土の東洋では、一神教が受け入れらないのも仕方がないでしょう。 旧約聖書の神は当時のイスラエル人にそう見えた神、そのように彼らが受け取った神であり、到底本当の神の言葉、神の意思とは思えません。イエスの神は同じ聖書の神ですが、神の理解を大幅に修正した神ではないでしょうか

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コメント

キリスト教VSイスラム教VSユダヤ教・・・

「一本の串に刺さった団子3兄弟の喧嘩」

私なんとなく昔からそんな感じを持っていました。

そんな事を言うと、どの宗教からも怒られそうですが(coldsweats01

兄弟同士の争いだからこそ憎悪が根深く、

恨みが次世代に連鎖し、容易に解決しない・・・

「父」は、どの子の味方でしょうか?喧嘩を止めないのでしょうか?

イスラエルの地に立って、「父」の気持ちを察したいと思います!

「同じ唯一の神を信じるイスラム教徒とユダヤ教徒が争い殺しあうのを見れば、多神教の風土の東洋では、一神教が受け入れらないのも仕方がないでしょう。 」
旧約聖書によれば、ユダヤ人は、力もなく小さな貧しい民であるとの自覚が度々出てきます。その小さな民が世界中に散らばり、良くも悪くも世界の様々な分野で活躍し貢献していることを思うと、不思議な思いに駆られます。
イエスは、旧約聖書に熟知しながら、戦争を繰り返す民俗の歴史を深く憂いたのではないでしょうか?
生涯神の御心に忠実に律法を守り、正し立派に生きて行くことが、果たして人にできるのでしょうか?
イエスの神への信仰と神との一致は、当時の社会から見るとコペルニクス的転換だったと言えます。敵をゆるし、受け入れ、敵をも愛するというイエスの十字架による贖いの意味を知ることは、日本人にとって、あながち難しいことではないと思います。
勝つか負けるかという価値観ではない、「負けるが勝ち」と言う言葉があるくらいで、力のない弱い者にとって都合のよい逃げ口上かもしれませんが、それが分かる日本人ですから~。

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