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2014年12月

2014年12月27日 (土)

年末の挨拶

 2014年テ・デウム集会・聖体賛美式中の挨拶  ― カテドラル献堂50周年を迎えて ——  教皇庁大使ヨセフ・チェノットゥ大司教様、神父様、ブラザー・、シスターの皆さん、お集まりの皆さん、  クリスマスおめでとうございます。  今年も無事に年末の「テ・デウム」の集会を迎えることができました。父と子と聖霊の三位の神様と、わたしを支え助け導き、わたしの為に祈ってくださっているすべての皆さんに、心から感謝いたします。  教皇ベネディクト十六世による『信仰年』は2013年11月24日の「王であるキリスト」の祭日で終了いたしましたが、その日に、教皇フランシスコは新しい使徒的勧告『福音の喜び』Evangelii Gaudiumを発表いたしました。  これは、悩み悲しんでいる世界中の人々への希望と慰めの書、勇気と希望を与える教えであります。  わたしたちはこの一年、この教えを学んで参りました。なお来るべき2015年、この教えに励まされて、人々へ慰めと希望を伝え証するという教会の使命を遂行してまいりましょう。  2014年10月にはヴァチカンで臨時シノドスが開かれ、わたくしが日本カトリック司教協議会会長として出席いたしました。主題は「福音化を背景とした家庭への司牧的挑戦(Pastral Challenges to the Family in the Context of Evangelization)」です。  2015年10月にはその継続である通常シノドスがヴァチカンで開催されます。主題は「教会と現代世界における家庭の召命と使命」(The Vocation and Missionary of the Family in the Church and Contemporary World )」です。 家庭という誰にとっても非常に大切な共同体の福音化のために今年も祈りそのために働きたいと思います。 2014年12月には、わたしたちは東京カテドラルの献堂50周年記念行事を実施行いたしました。ケルン教区をはじめとする多くの皆さんの祈りと支援に改めて感謝いたします。  献堂50周年を記念し、教区の「祈りの家」の中心であるカテドラルの使命をより明確に示す為に、主日と祭日の晩の祈りを大聖堂で開始いたしました。  多くの皆さんの参加をお願いします。 なおご存知のように東京教区の優先課題は次の三つです。 1) すべての信者の霊的成長(信仰の生涯養成) 2) 多国籍教会としての成長と互いのサポート(CTICなどの活動) 3) 心の問題へ理解と助け合い  これは変わることのない東京教区の優先課題です。来年も種々の機会にこの課題の内容を検討しまた深める努力を重ねて行きたいと考えております。  2014年を振りかえりますが、すぐに心に浮かんでくる出来事は、6人の教区司祭が亡くなられたことです。  特に11年間教区事務局長を務めたチエレスティーノ神父の帰天はわたくしにとって大変辛く悲しいことでした。  帰天された神父様方のために、慎んで永久の安息を祈ります。

クリスマス

きょう、わたしたちはイエス・キリストの降誕を祝います。イエスは皇帝アウグストゥスのときにユダヤのベツレヘムで生まれました。  キリスト教という宗教はこのイエスをキリストである、救い主である、と宣言し、イエス・キリストは完全な人間であり完全な神であると宣言します。  皆さん、今日はご一緒に今読まれたルカの福音の伝えるイエス生誕の物語を味わってみたいと思います。  イエスの両親は、ヨセフとマリアです。二人とも貧しいユダヤ人でした。マリアは妊娠中であったのに、ナザレから遠いベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。  それは皇帝アウグストゥスにより住民登録するようにとの勅令が出たからでした。おそらくナザレとベツレヘムの間の距離は有に、100キロはあるでしょう。身重の身での旅ですからたぶん数日は要する旅路です。旅とは何時でも危険が伴いますが、当時はさらに危険なものです。  マリアはベツレヘムで子を生むことになりました。病院もないし宿屋にも泊まれないし、やっと馬小屋を借りて出産することができたのです。  救い主イエス・キリストはこのようにして馬小屋で産まれたと、ルカの福音書は伝えています。貧しい夫婦の、危険で不安な環境での出産でした。今日本ではこのような出産を非常に稀でしょう。  イエスはベツレヘムというローマ帝国の辺境の地の集落の馬小屋で生まれた貧しく小さな存在でした。イエスは最も貧しい者として生まれ、貧しい者として生き、そして惨めな十字架の最後を遂げたのでした。  クリスマスといえば喜び祝うイエスの誕生祝いの時ですが、実はイエスの生誕は人類の貧しさを共にするための誕生だったのです。  いまイスラエル・中近東で絶えざる紛争、殺戮、迫害、抗争があるという報道されています。  それを聞くたびに、どうして同じ唯一の神を信じている民、つまり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の信者の間で殺し合いがあるのか、まったく理解し難く思うのです。  神の前に、幼子イエスように、謙遜で無力な小さな者として歩むならば、そこに神の平和が生まれ、このような惨事、紛争、殺戮、迫害、抗争は起こりようがない、と思うのです。この信仰の出発点に戻ることをわたしたちは真剣に考えるべきだと思います。  さて、今日はさらにマリアの夫ヨセフについて是非お話したいと思います。  このカテドラルの庭の西のはずれに、ヨセフの像が立っています。像には、「受けとめるヨゼフ」という銘が記されています。天使のお告げを受けとめているヨセフの姿を現しています。  許婚のヨセフは身に憶えのないマリアの妊娠を知り苦悩します。ひそかに離別しようと考えていたときに、夢の中で天使が現れ、マリアに宿った子は聖霊によるのであり、それは神がすでに預言者を通して言われたことが実現するためだとヨセフに告げました。  ヨセフは天使の言葉を信じ、マリアを受け入れました。ヨセフは素直にマリアの潔白を信じたのです。このヨセフの諒解がなければ、マリアはヨセフの妻になることができず、その結果、マリアは姦通の罪を犯した女として、石殺しの刑を受けることになるはずでした。ヨセフはマリアを受け入れることにより、マリアとその子イエスの生命を守ったのでした。  このヨセフの信仰は大いにほめたたえられるべきです。マリアとヨセフの間にあった互いの尊敬と信頼をわたしたちの時代の妻と夫はもっているでしょうか。  ヨセフは不言実行の人、神のみ言葉に従って誠実に行き、自分の役割を忠実に果たして静かに地上の生涯を終えた人でした。そのような生き方がいま求められていると思います。  

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