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2015年1月

2015年1月29日 (木)

原罪

今日2015年1月29日午後近所の散髪屋さんに行く。テレヴィの音声を聞きながらやってもらう。イスラム国の捕虜となっている日本人ジャーナリストの第4のメッセージの分析が報道されていた。29日日没までの回答を迫るという内容。その日没が刻々近づいている。気が気ではない。
それにしても中近東でどうしてこのような惨い事件が起こるのだろうか?でも惨劇は中近東だけに起こっているわけではないだろう。
どうして同じ人間同士がこのように殺し合いいたぶり合うのか?
キリスト教でいう原罪状況をつくずくと感じてします。

2015年1月24日 (土)

北原怜子さん尊者に

明日潮見教会でミサ、北原怜子さんの話をするのでinternetで調べていたら、北原怜子さんの帰天日1月23日に列聖省より北原さんが尊者になる承認をフランシスコ教皇から前日22日に得ていると発表されていることを知りました。よかった、知らないで行ったら恥ずかしいことになった。

北原さん帰天はまだ57年前のこと。神のはしためエリサベト・マリア・北原怜子は世世界的に有名で、蟻の町のマリアとして知られ、前教皇大使アルベルト・カステッロ・ボッタリ大司教煮、蟻の町のマリアのお墓はどこだ、と聞かれてすぐには応えられなかったことがありました。多磨霊園ですね。
列聖と言う制度に疑問を呈するむきもありますが、彼女の生き方が多くの人に知られ、日本の人々がより簡素で性的に節制する、思いやりと犠牲心に富んだ生き方をするようになることを切望します。

2015年1月21日 (水)

イスラム国

インターネットの時代、善いことも悪いことも、一瞬で全世界に広がる。

イスラム国からの脅迫の情報!20年前なら可能か?恐ろしい時代なり。

2015年1月20日 (火)

母校同窓会への寄稿

苦い一年1957

1957年より58年までわたしは長生一高に在学しました。はるか58年前にことです。今振り返るに、この一年の思い出には甘酸っぱくそして苦い味がついています。挫折の一年でした。しかしあの一年が今のわたしを造りました。あらためて母校に感謝します。

当時の市原郡南総町鶴舞から茂原市にある長生第一高校に入学しました。同じ鶴舞中学の同級生湯川文朗くんが一緒に一緒でした。彼とは一緒に通学し、この一年間、本当にお世話になりました。遅ればせながら御礼申し上げます。

通学は遠距離で、長南まで自転車で出て、そこからバスに乗って茂原へ通う日々、大変で、途中イジメに出会い、家庭の自重も事情もあり、とうとう不登校に陥り、一年後には牛久の市原一高に転向することとなりました。ですからわたしは長生一高の同窓生ですが卒業生ではないのです。

わたしのクラスはB組みでした。席順は50音順で、わたしのすぐ前の席は石川信介くんの席でした。彼はよくくるりと後ろに振り返ってわたしに話しかけてくれました。元気で明るい、よく勉強する人で、大いに助けられました。

級長は米倉正博という人でした。長身白皙の美男子の秀、という印象が残っています。

いま同窓会名簿を見ています。他の同級生について名前には覚えがあるのですが顔が浮かんできません。(すみません、同級の女子学生のほうは覚えていますが!)

先生については次第に思い出してきました。

クラスの担任の先生は横井経之先生でした。昭和32から36年に長生一高に在籍しておられたと名簿にあります。わたしたちは32年入学組ですので、わたしたちの入学と一緒に赴任して来られたことになります。国語を教えていただきました。赴任後まもなく結婚されました。そのことを生徒に少し顔を赤らめて報告された場面を思い出します。

田中幸作先生には英語を教えていただきました。何かの拍子に、日露戦争の話になり東郷元帥が部下の兵士に檄を飛ばした場面を、熱をこめて話してくださったことを思い出します。

武田市兵衛といういかめしいお名前に先生がおられました。世界史を担当していました。わたしは後にカトリック信者になったわけですが、ローマの司教の尊称を「教皇」であるといわれたことを覚えています。どうしてそれを知っていたのだろうか、後で不思議に思いました。重厚な感じの先生でした。

小嶋健一先生、生物担当。いつも白衣を着て教室に現われ、独特の女性的な身振りで挨拶するかたでした。古いノートを見ながら飄々と授業をしていましたが、内容は高校生にとってはかなり高度なものでした。先生の授業は受験のために大いに役立ちました。

そして三木貞夫先生という英語の先生。先生は学校の新聞に一文を寄せ、聖書こそ最も大切な書であり、ここには人生の意味が述べられている、と言われました。そこでわたしも茂原の書店で聖書を購入し、そのことがやがてキリスト教徒になるきっかけとなったのです。後から三木先生が牧師になっておられることを知り驚きました。

1957年の夏休みには受験のための特別夏期講習会が開かれ、わたしには非常にためになりました。特に数学の授業は有益でした。英語のテキストはたしか、”Fifty Famous Stories”だったと憶えています。

1957年、まだ日本の映画が全盛時代、茂原市街の中心には映画館があり、そこで映画を見るのが楽しみでした。確か「山の音」「米」などの日本映画の名作を茂原で見たように思います。

長生一高を去ってからの長い年月、ほとんど関係者に接触することなく過ごしてきました。最近は仕事の関係で、学校に近くにあるカトリック教会に行くことがあります。一度一人で母校へ行って見ました。記憶にある校舎は今はないです。

 

さて、折角の機会ですので世界の平和のための提言二つを記します。

1)現在の奴隷制の廃止。現在において奴隷制は廃止されており、国際法により禁止されています。しかし今なお多くの人々が事実上奴隷の状態に置かれていることをわたしたちは認識しなければなりません。違法な労働条件で働かされている労働者、恐怖と不安の中で非人道的な扱いを受けている移住者、売春を強いられ、ある結婚を強制されている人々、臓器売買のためにまた兵士にするために取引され売り渡されている子どもたち、テロ組織により拉致され戦闘員にされている人々や性的奴隷にされている少女や女性たち。このような恐ろしいことが起こっているのは何故か。人を物のように扱うことが許されているという考え方によるのではないでしょうか。

2)核兵器廃絶。今年は第二次世界大戦終了、広島・長崎原爆投下の70周年にあたります。ぜひとも戦争という人類最大の悪の終息と核兵器廃絶に向けてわたしたちの声を響かせまたそのための運動により一層の努力を傾けましょう。 

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2015年1月 2日 (金)

現代の奴隷制

正月元旦は神の母聖マリアの祭日であり、また「世界平和の日」です。
今日の福音でルカは、 「マリアはこれらの出来事をすべてこころに納めて,思い巡らしていた」(ルカ2・19) と記しています。
ことしの「世界平和の日」の教皇メッセージの題名は「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」であります。
以下にこのメッセージを読んでのわたくしの要約をお伝えし、併せてわたしの新年の思いをお伝え致します。
ことしの教皇の「世界平和の日」のメッセージは使徒パウロの「フィレモンへの手紙」からとられた言葉です。オメシモという奴隷がいました。彼はフィレモンの奴隷でした。しかしオネシモはパウロのもとでキリスト者となりました。パウロはオネシモを主人であったフィレンモンに送り返すにあたり手紙を書き送り、オネシモを「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」受け入れるように頼みます。
人は皆同じ神を父とする神の子、であり、兄弟姉妹です。しかし人類の歴史は殺人と犯罪、人権侵害、そして奴隷制の歴史です。人類最初の殺人はカインによる弟アベルの兄弟殺しでした。カインはアベルを兄弟として受け入れず、嫉みに駆られて弟を殺しました。
奴隷制とは他者を兄弟として認めず、人間の尊厳と自由を否定し、人間を所有物とみなし、人間を単なる手段とする、大きな悪であります。
現在においては公式には奴隷制は廃止されており、国際法により禁止されています。しかし今なお多くの人々が事実上奴隷の状態に置かれていることをわたしたちは認識しなければなりません。
恐ろしいことですが、違法な労働条件で働かされている労働者、恐怖と不安の中で非人道的な扱いを受けている移住者、売春を強いられ、ある結婚を強制されている人々、臓器売買のためにまた兵士にするために取引され売り渡されている子どもたち、テロ組織により拉致され戦闘員にされている人々や性的奴隷にされている少女や女性たちが多数存在しています。 このような恐ろしいことが起こっているのは何故かといえば、人を物のように扱うことが許されているという考え方が人を支配しているからです。また人身売買が起こる原因には極度の貧困という現実があります。さらに奴隷売買と人身売買に携わる人々の汚職という問題、その背景には、軍事紛争、テロ、暴力、犯罪という人類の構造悪が存在しています。
わたしたちは、人身売買、違法な移住取引に対して無関心であってはなりません。すでにこの問題に取組み、この悪と戦っている修道者の存在は敬意に値します。 人間の搾取と取り組むためには予防措置,犠牲者の保護、加害者への法的措置の三つの組織的活動を世界的ネットワークで行う必要があります。
国家は自国の法律が人間の尊厳を尊重したものになるよう努めなければなりません。国際機関は、人身売買や違法移住取引を取り締まるための組織を整備するよう求められています。企業には、人間の尊厳を尊重した労働条件と適切な賃金を保障する義務があります。 人は神のよびかけに応えて回心すれば、隣人に対する見方を変え、一人ひとりを人間家族の兄弟姉妹として認め、その人に人間としての尊厳を認めるようになります。
スーダン出身の聖人、奴隷とされていたジョゼピーナ・バキータの生涯のあかしは、この教えについての美しい、そして大きな励ましの物語です。
教皇は今年の世界平和の日のメッセージを次のように呼びかけて結びとしています。

「神はわたしたち一人ひとりに、『おまえの兄弟姉妹に何をしたのか』(創世記4・9-10)とお尋ねになることを、わたしたちは知っています。現在、大勢の兄弟姉妹の生活を苦しめている無関心のグローバル化に対処するためには、わたしたち全員が、連帯と兄弟愛のグローバル化を実現させる必要があります。そうすれば、彼らは、新たな希望を抱き、現代のさまざまな問題に直面しても新しい展望のもとに勇気をもって歩むことができるでしょう。その展望は、彼らが切り開くものであると同時に、神によってわたしたちの手にゆだねられたものでもあるのです。」

今年は第二次世界大戦終了、広島・長崎原爆投下の70周年にあたる年です。ぜひとも戦争という人類最大の悪の終息と核兵器廃絶に向けてわたしたちの声を響かせまたそのための運動により一層の努力を傾けなければならないと思います。 本日の第二朗読でパウロは言いました。「あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によってたてられた相続人です。」(ガラテヤ4・7)) すべての人がキリストの霊を受けた神の子として尊重される世界の到来を心から待ち望みましょう。

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