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2016年1月

2016年1月 4日 (月)

世界平和の日・神の母マリア

(説教)
 皆さん、明けましておめでとうございます。
 本日は主のご降誕の日12月25日から八日目にあたり、神の母聖マリアの祭日となっています。本日の第二朗読で、  「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」  とありますように、イエスは律法のもとにあるユダヤ人として生まれ、八日目に割礼を受け、イエス(主は救う)と名付けられました。今日の福音はその次第を告げています。
 さて本日は同時に「世界平和の日」でもあります。  2015年は、胸の痛くなるような悲しく酷い出来事の続く年でした。シリヤなどの中東から多くの避難民が生まれました。今朝聞いたばかりですが、ドイツのメルケル首相はドイツ国民に向かって、100万人の避難民を受け入れる決意を告げて、理解と協力を求めています。教皇様も、困り果て苦しみの最中にいる難民・移住者の家族を受け入れるようと呼びかけました。
 今年の「世界平和の日」教皇メッセージは「無関心に打ち勝ち、平和を獲得する」です。様は傷つき苦しみ途方にくれている人々の心を向けるよう、わたしたちに教えわたしたちを励ましています。
 今年のメッセージの冒頭のことばは非常に印象的です。
 「神は、無関心ではありません。神は、人類を大切にしてくださいます。」  いきなりこのような言葉で始まっています。無関心であってはならない、と強く戒めています。 (ぜひ「世界平和の日」教皇メッセージをお読みになってください。なお本日の聖書と典礼にはその要約といえる適切な記事が出ています。参考にしてください。)
 実際、わたしたちは、自分のこと、自分の健康や生活のこと、自分たちの課題で心が覆われています。他の人のためにどのくらいの心の場所を用意しているでしょうか。自分の仕事にためには心を用います、しかし、ほかのこと、ほかの国で起こっている世界の現実は自分には関係ない、と思い、関わろうとはしません。自分の、自分たちの問題で心も頭の一杯です。わたしたちは、世界の悲惨な現実へ向かって、人類共通の課題へ向かって、貧しい人々の状況について、心を開かなければなりません。
 神はいつくしみ深い神です。聖書は、旧約聖書、新約聖書はすべて、神が人々の苦しみの叫びに応えている次第を告げています。 いつくしの神の目に見える顔が主イエス・キリストです。 いまわたしたちは《いつくしみの特別聖年》を過ごしています。神がいつくしみ深いようにわたしたちもいつくしみ深い者でなければなりません。神のいつくしみをさらに深く知るように祈りましょう。「無関心」から抜け出し、神のいつくしみを実行できるよう、祈りましょう。

主の公現

主の公現の説教
2016年1月3日、鴨川教会
第一朗読 イザヤ60・1-6
第二朗読 エフェソ3・2,3b、5-6
福音朗読 マタイ2・1-12 (本文)

「主の公現」とは主なる神が御子イエス・キリストを諸国の民に示された、という神のみわざを表すことばです。
 今日のマタイの福音は、占星術の学者がベツレヘムに来て幼子イエスを拝み、黄金,乳香、没薬を贈り物として献げた、と述べています。
 「占星術の学者」は博士とも賢人とも呼ばれています。原語は「マゴイ」で、ここからmagic(手品)という言葉で出てきたと言われています。  ふつう、「三博士」と言われていますが、それは、「黄金,乳香、没薬」の三つの贈り物から来てくる数字です。福音書には博士の人数は出ていません。 後に三人の名前も伝えられるようになりました。 三人は、伝説によれが、 メルキオール、バルタザール、カスパールと言い、メルキオールはメシアの王権を表す黄金を献げました。バルタザールは神性を表す乳香を、カスパールは埋葬を表す没薬を献げました。確かにヨハネの福音では、イエスの埋葬のために没薬と沈香が用意された、とあります。(ヨハネ19・39-40参照) ちなみに、東京教区が大変お世話になっているケルン教区の大聖堂にはこの「東方三博士(賢王)」の聖遺物が祀られています。 なお、3月4日には、ケルン教区のヴェルキ大司教(枢機卿)がこの聖遺物とともに、わたしたちの東京教区を訪問してくださいます。
さて、三博士は東方から来たのですが、さらに東にあるこの日本にもメシア=キリストの光が届きました。わたしたちは御子キリストの光を受けて、その輝きを人々に表し伝えるという使命を受けています。 今日の奉納祈願でわたしたちは祈ります。
 「いのちの源である神よ、教会の供えものを顧みてください。黄金、乳香、没薬ではなく、主イエス・キリストご自身をあらわすこの供えものによって、いのちの糧を受けることができますように。」
 わたしたちは黄金、乳香、没薬は持っていません。その代りに日々の生活すべてを、ミサにおいて、主イエスを表すパンと葡萄酒とともに父である神に献げるのです。
  先ほど皆さんは「教皇フランシスコ いつくしもの特別聖年のための祈り」を唱えました。その中で次にように祈ったのです。
 主イエス、・・・・
  あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。
何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。
  教会がこの世において、復活し栄光に満ちておられる主のみ顔となりますように。
 あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、 無知と過ちの闇の中を歩む人々を、 心から思いやることができるようお望みになりました。
 これらに仕える者に出会うすべての人が、 神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じるこことができますように。
 実はわたしたち自身が罪深くまた弱い人間です。だからこそこの世の中で「無知と過ちの闇の中を歩む人々を、 心から思いやることができる」はずなのです。「ご自分に仕える者」とは、わたしたち教会です。わたしたち一人ひとりのことです。わたしたちを通して神のいつくしみが現れ伝えられるのです。わたしたちと出会う人々が、自分は「神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じる」ようでありたいものです。
 主イエスに倣い、弱い人間、それて知らずに過ちに陥っている人々にお仕えすることによって、自分の献げものをささげるのです。 わたしたちによって、キリストの復活の光が現れ伝えられますように。罪人である弱い人間を通して主キリストのみ顔が示されますように。わたしたちが神のいつくしも目に見えるしるしとなることができますように、祈りましょう。

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