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2017年5月 2日 (火)

4月29日司祭叙階式説教、大宮教会

受階者:ペトロ 髙瀬 典之
第一朗読 出エジプト記3:1-12
福音朗読 ヨハネ15:9-17

これから司祭に叙階される髙瀬典之さん。そして叙階式に参加している全ての皆さん。この大変喜ばしい、大切な叙階式にあたり、ご一緒に司祭の務めについて分かち合いをしたいと思います。

今日の第一朗読は出エジプト記。モーセの召命を語る箇所であります。神はホレブの山でモーセをお呼びになりました。「モーセ、モーセ」と、モーセをお呼びになったのであります。そしてモーセに使命を授けました。イスラエルの民の叫び、苦しみを神は心に留めて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から解放することを決意し、その解放する指導者としてモーセを選んだのであります。このエジプトから人々を解放して、新しい土地へ導くという仕事は本当に難しい仕事であると思われます。モーセの心の中に躊躇い、そして苦しみが生じたことは想像するに難くないと思います。主なる神はそのモーセに言われました。わたしは必ずあなたと共にいる。いつも一緒にいるから、あなたを教え導くから大丈夫、やりなさい、そういう神の声があったのであります。
召命とは、神がわたしたちをお呼びになり、そしてその呼びかけにわたくしたちが応えるということであります。
今日の福音として選ばれた箇所は、ヨハネの福音の15章であります。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」
わたしたちは神の呼びかけに応えた者ですが、さらに神様の呼びかけがあった。神様が選んで、わたしたちに声をかけてくださった。イエスの時代になると、イエスを通して、神は人々を呼び出しになり、そしてイエスの最初の弟子たちが十二使徒たちであります。わたしが選んだ。そしてわたしがあなたがたを遣わす。そして、
「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」
と言われました。
今、司祭に叙階される髙瀬さんも、神の呼びかけに応える者でありますが、同時に主イエスから選ばれ、呼び出されたのであります。人間というのは何か問題にぶつかったり、困難に出会う時に、自分はなぜ此処にいるのか、何のために此処にいるのか、ということを思い起こすことがある。自分の出発点をもう一度確かめなければならないと感じることがある。神から呼びかけを受け、そしてそのために必要な力を、恵みを、光を、支えを、導きを、いただいた者がわたしたちであり、特に司祭であります。
さて、叙階される司祭は司祭団という団体に加入し、そして司教の協力者となります。
今日の叙階式の式文で、度々言われておりますが、司祭というのは司教の協力者であります。司教は司祭の存在、そして協力によって司教の任務を果たすことができるのであります。この司祭と司教との親密な交わりということが、非常に大切であります。自分の司教がどんな人であるかは、選ぶことができない。しかし、それぞれの役割を同じイエズス様からいただいておりますので、司教の話はよく聞いて、わたしの後継者の司教の話もよく聞いていただく。そればかりではないですね。自分の希望、自分の問題、自分の本当の思いというものを率直に司教に話していただきたいと思います。
そして、今日の福音朗読で言われておりますが、互いに愛し合うこと。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」という主イエスの言葉を、司祭の交わりの中で具体的な姿をとって、実現するように努めましょう。あなたの先輩の司祭、年長の司祭、色々な方がおります。あなたも色々な方の一人になろうとしてるわけですけれども。互いに赦し合い、助け合い、そして人々がわたしたちの様子を見て、僕も司祭になりたいなと思ってくれるようでありたいです。素晴らしいからそういう風になりたいなと思う場合もありますが、ああじゃいけないので自分がなろうという場合もあると思います。
第三点。司祭と信徒の繋がりについてであります。司祭は信徒のために、司祭になります。司祭は信徒の声によく耳を傾け、信徒の要望に応えるように努めなければなりません。そして、信徒の皆さんが自由に、自発的に教会の宣教・司牧活動を行い、あるいは協力するように励まし、導かなければならない。司祭は一方的に指示し、命令するものではありません。
さて、来る5月7日は世界召命祈願の日であります。全ての人が自分の召命を知り召命に生きるよう、励まさなければなりません。もちろん司祭、奉献生活者への召命を呼びかけ、励ますことは大切でありますが、全ての人、全ての信徒は福音宣教者となるという召命をうけております。それぞれの方が自分の場所で、自分の立場で、主イエスの御心に従い、信仰を証しし、福音をのべ伝えることができるように教え、導き、励ますことこそ、特に司祭の役割であると思います。さいたま教区は宣教・福音化年を掲げて、そして祈りとともに、皆さんの協力をお願いしております。聖霊があなたを守り導いてくださいますように。アーメン。

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コメント

アーメン。私も神の福音のために召し出された者として、神の恵みのみに頼って、自分に定められた証しの道を歩んで行きたいと思います。
最近私は自分のブログを開設し、そこに「神学の森 第8回」を新たに投稿しましたが、聖書にある「奴隷の家」を「奴隷状態」と表現しました。大司教様も「奴隷の状態」と表現されていることに奇縁を感じます。
私はイスラエルの民がエジプトで奴隷状態jにあった出来事は、しるしだと思っています。すなわち全ての人間が罪の奴隷状態であること、全人類が古い行動原理の奴隷状態にあることのしるしであると。福音はこの奴隷状態からの解放であると私は信じています。

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