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2017年7月25日 (火)

父母を敬え

2017年7月17日  宣教・福音化年「合宿研修」派遣のミサ

第一朗読 出エジプト記1.8~14,22

福音朗読 マタイ10.34~11.1   

昨日の夕方6時過ぎにやっと到着して、夕食にあずかり、今のこの時まで皆さんと一緒に過ごしてきました。昨日、そして一昨日はいなかったので、皆様のお話しを伺うことができず、残念でございました。それから夕べと今日も皆さんのお話しを聞いたのですけども、正直よくわからないところがありまして、もっと更に伺いたいという気持ちが残っております。

今日のマタイによる福音を読んで、わたくしが今思いますことをお伝えし、皆さんの参考に供したいと思います。 「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」 イエズス様の大変厳しいお言葉であります。

わたくしも若い時、この言葉を黙想し、できたら司祭になろうと思い、ある時決心をして、神学校に入れてくださいと頼んで、そのあと司祭への道を歩み司祭になりました。その時は、司祭になろうと思った時は、このイエスの言葉に自分は応えるのだと思って、決心をしたのであります。まあしかし、司祭になり、司教にまでなってしまった後で振り返ってみると、自分の動機は本当に純粋なものであったであろうかと思うのであります。今更言ってもしかたがないんですけども、皆さんのお話しを聞いて刺激されて、自分のことを少しだけ話そうかな、打ち明けようかなと思いました。

わたくしは、千葉県の房総半島の山奥にある市原市鶴舞というところで、生まれ育ちました。わたくしの家庭はいろんなことがあって、あまり恵まれていなかったんですね。わたくしは長子、長男であります。父や母は一生懸命生き、わたしたちを育ててくれましたが、わたくしどもはその父母の心をよく受け止めず、よくわからず、どちらかというと恨みがましく思っていたのであります。本当に申し訳ありませんでした。皆さんに謝ってっても仕方がないのですけども。・・・父や母の苦しみや痛み、悲しみを理解しなかったですね。大きくなって何十年もたってわかってきた。

わたくしが千葉県の教会に行きましてミサをあげました後、一人の方がこうおっしゃいました。「私はあなたのお父さんをよく知ってますよ。」「え、知ってたんですか?」「あなたのお父さんは立派な教育者、学校の先生でした。」その方も教育者で、父は先輩にあたる。息子の目にはそうは見えなかった。「あなたのお父さんのおかげを被って感謝している人がいます」と。間もなくその感謝している方からの手紙がきました。「あなたの父上は私の恩人であります。」とこう縷々と書いてある。おれの親はこんなに偉い人だったのか!

母につきましても、・・・母のことをよく知っている方が、教会におりましてですね、別の教会ですけど訪問した時に、その方のお話しを聞くことができた。「あなたのお母さまは大変立派な方で、みんなのことをよくお世話をし、そして尊敬されていた」と。わたしは母のことは断片的にしか憶えておりません。幼い時に母とは離された状態になりました。わたくしが大学生になったときに、突如母親に会うことになったわけなんです。わたくしと下の「きょうだい」の心には父や母のことをあまり思い出したくないという思いがあったんですね。・・・わたくしは本当に申し訳ないが、大変後になって、父や母のことをもっと知りたいと思うようになった。わたくしが司祭になってから、二人とも帰天しております。臨終洗礼を受けて東京のカテドラルに葬られております。すぐそばなんで毎日でも墓参りできるのですけど、これがまたしないんですね。なんて親不幸な息子であるかと思いますが。

ですから本当にイエズス様の呼びかけに応えて父や母のもとを出る人もいるけれども、かなり不純な動機で、やなことをしたくないからイエスに従うという理由を見つけるという、そういう人もいるのではないかと。このイエスの言葉は大変難しい要求だと思います。 わたしたちは父や母から生まれますが、生まれた時から健全な家庭があるわけではない、家庭を知らない人もいる。両親がそろっていない方もいる。それから親がわからないという人もいる。人は家庭で生まれ育ち、両親の愛に育まれると、それは理想ですが、そうはいかない現実の中で、わたしたちはまず自分の家庭のことを思いますが、多くの方々の家庭のことも思い、本当にあなたは大切な存在、かけがえのない、なくてはならない人なんですということをどうやって伝えられるだろうか。親は自分を捨てて逃げちゃった、という場合に、自分は大切にされたとなかなか思えないわけであります。わたしの父、母は大切に思って一生懸命育ててくれたわけなんですけども、子供からみたら、ああだ、こうだと思うのですが、どんなに一生懸命生きたかということがわかる。実際、生きるということは大変なことであって、子供を産んで育てるということが、今、更に難しくなっているわけで、子供の貧困ということが言われておりますが、親が子供のお世話をよくすることが難しい環境にある。経済的のみならず精神的にも余裕がない、そういう状況で、子供が愛に包まれて育つということは難しい。そういう中で、わたしたち教会はどうしたらいいだろうか。

話は飛びますが1993年、ずいぶん昔ですが、日本のカトリック教会は福音宣教のための全国会議を開いた。そして家庭の問題をとりあげた。そして、それぞれの教区で、家庭について何ができるかということを考え実行しようということになりました。当時の浦和教区では、わたくしが浦和司教でありましたが、宣教司牧評議会を立ち上げて、そして青年、女性の皆様の協力をお願いしました。昨日その話をしたんですけども、女性をもっと励ますと。そしたら、もう励ます必要ないんだそうですね。「男性を励まさないといけないんですよ、司教さん。」ああそうですか。青年はどうなんですかね。青年はあまり元気がないように思うのですけども、子供ですよね。子供は今本当にかわいそうな状況にある。子供を暖かく受け入れ励ます。親が自分の子供のお世話もできない。お世話をすることを学んでいない親もいるという状況で、教会はそういう方々のためにきめ細かくできることをしていかなければならないんだろうと思います。 自分の言葉で、自分にできることを真心こめてお献げする、ということが福音宣教であると思います。この三日間、教会の働きを見事にあらわしている良い試みであると思い、このような集いは更に発展することを願っております。

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コメント

岡田大司教さま、いつもブログを読んでいます。
お忙しいことと存じますが、更新してくださり感謝しております。

今回の父母のお話、非常に心に響きました。
わたくしも、田舎から勉学のため東京に出て来たとき、色んな折り合いが父母とうまくいかなくなったこと、母の束縛(当時はそうとしか思えませんでした)、恋人の出来た私に執拗に干渉してくる両親に嫌気がさして、非常に仲が悪くなってしまいました。
どう和解したらいいのか分からず、今はただ、両親の健康と平和を祈る毎日です。
そんないまの状態に、勇気を与えてくださるお説教でした。
お忙しいことと存じますが、どうかお体お大事にされますように。一信徒ではありますが、祈りでお支えできたらと思います。

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