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2017年9月 8日 (金)

光と闇のはざまで

2017年9月8日(金) 聖マリアの誕生(祝日) 命日記念ミサ
浦和教会 第一朗読(ミカ5・1-4a) 福音朗読(マタイ1・18-23)
 今日わたしたちは、4人の司教・司祭の命日を記念して、ミサを捧げます。島本要大司教様、ちょうど1980年から90年まで10年間、浦和教区の司教を務められました。長崎の大司教になられて、そして8月31日という日に帰天されたんですね。一人の司教、三人の司祭の生涯を思い起こし、それぞれの方々の霊に感謝を捧げ、安息をお祈りいたしましょう。
 今日の福音は、マタイの1章であります。マタイの冒頭の部分は、ご承知のようにカタカナの名前が羅列されている、系図の様な記述であります。この中に何人かの女性が登場しています。 まずタマルという人。ユダの息子の嫁にあたる人です。ユダとの間に子どもを作っているという。 ラハブというのは、イスラエルがエリコに侵入したときに手引きをした遊女。それからルツ記のルツ。モアブ人でダビデの三代前、祖父のまた父、ボアツという人と結婚した女性。 そしてダビデの姦通の相手とされているウリヤの妻バテ・シェバ。 それから今日記念する聖母マリアであります。 これらの女性はわたしたちの教会にとって非常に重要な意味を持っている。  旧約聖書のおもしろいところは、人々のありのままの姿、罪とされることも正直に伝えているということではないでしょうか。ダビデは、ウリヤの妻バテ・シェバという人を、結果的に自分の妻にしたわけですが、姦通と殺人の罪を犯した人であります。そして、そのあと自分の罪に気付いて、有名な痛悔の祈りを残している。詩編51ですね。このように旧約聖書の歴史を振り返ると、マタイの冒頭の部分が大変興味深いものとなっていきます。
 人類の歴史は罪の歴史でもある。その罪で織りなされている歴史の中に、神様の恵みが働いている。そしておとめマリアが登場する。でも、そのマリアからイエスが生まれたことは疑いないんですけれども、イエスの父親はヨセフという人ですね。ヨセフまで系図が来て、そしてそこでヨセフと結婚したマリアからイエスが生まれたというように述べられているので、あまり系図の意味がないように思うんですね。おそらくイエスは旧約の歴史の中で、預言者がすでに預言した救い主であるということを言うために、長い系図を記述したのかもしれない。イエスの誕生のためには、二人の人が重要な役割を果たし、言うまでもなくおとめマリア、そしてその許婚であったヨセフという人であります。この二人の信仰がなければ、人間イエスは誕生することができなかった。  この信仰という暗闇の中に輝いている灯のようなもの、薄い糸のようなものでしょうか。聖霊によって妊娠したということを、誰が信じるでしょうか。そのような非常に微妙な出来事を、この秘密をマリアとヨセフは共有しながらイエスを生み、育てたということは想像されるのであります。  話をここで一足飛びに終わらせるのですけれども、わたしたちの教会は本当に様々な、微妙な問題を抱えながら、歩んでいる。その中に、人間の弱さ、人間の罪が織りなされている教会の中に、神の恵み、復活の光、イエス・キリストの導きがあることを信じ、そして聖霊の導きを願って祈りたいと思います。

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コメント

イエスがおとめマリアの胎に宿られたという出来事は、人間の目で見るのか、それとも信仰の目で見るのか、私達の態度が神様から問われているのだと思います。聖書には「聖霊によって身ごもった」としか書かれていません。この出来事をどう解釈するのかによって、その人が肉に属するのか、それとも霊に属するのかが明らかにされてしまうということではないでしょうか?

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