無料ブログはココログ

« 弱さの中で | トップページ | 聖香油のミサ2018 »

2018年3月 2日 (金)

カトリック教会の性虐待被害者へのお詫び

 

 今日、四旬節第二金曜日、日本のカトリック教会は「性虐待被害者のための祈りと償いの日」といたしました。性虐待を受けた被害者の方々、そのご家族の悲しみ、苦しみを思い、癒しと回復の恵みを与えてくださいますように。いつくしみ深い神に祈りましょう。そして、この難しい状況を教会がきちんと認め、そしてその解決、克服のために努力することができますように、神の助けを願いましょう。

 性虐待の問題は、当初アメリカの教会で報告されましたが、日本の教会でも同じ問題があったし、今もあることをわたしたちはしっかりと受け止め、そしてその被害者の皆様に心からお詫び申し上げるとともに、日本の教会あげて、その問題の克服のために祈りと努力、そして償いをするように努力することを、日本のカトリック司教団は心から願っておりそのために努力しております。

さて、今日読まれました福音のことです。聖書はよく葡萄園の話をしています。葡萄園はイスラエルの国や地中海沿岸では非常に馴染み深い風景です。その葡萄園が良い実を結ぶことを願って、主人の神様は人を雇い、そしてそのための様々な手立てを与え、さらに預言者の使者を送って、葡萄畑の農夫を指導されました。最後には自分の一人息子を送り、葡萄園で良い実が実るようにと、最後まで努力をされましたが、その神様の御心は彼らには通じなかった。わたしたちはこのような、おおよその救いの歴史を知っています。

 今、四旬節、そして41日は復活祭となりますが、復活祭の前の晩は復活徹夜祭。復活徹夜祭では聖書の長い朗読があります。その朗読では、非常に長い聖書の中から、救いの歴史を伝える非常に大切な箇所が読まれています。

さて、そのような神の救いの計画の中で、主イエス・キリストの登場、そして宣教、受難、十字架、復活という出来事があり、わたしたち教会が設立されました。教会は神の民であり、神の霊を受けた神の神殿であります。

 しかしながら、それであってもわたしたち人間の弱さと罪が全部無くなったわけではない。弱さの中でわたしたちは過ちを犯しますし、罪の汚れをまだ完全に拭い去ることができない。そして人々に仕え、イエス・キリストの福音をのべ伝えるために選ばれ、そして任命された人たちが神様の御心に背く、性虐待という忌まわしい行いをしたことが明らかになった。本当に残念なことであります。どうしたら良いだろうかと、教皇様、特にヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世、そしてフランシスコ教皇様は全世界の教会に向けて、この問題の重大さをしっかりと受け止め、この問題をよく見て、そして解決と克服のために努力するように、そして神様の恵みを願うようにと願っておられます。

 今までに教会の行ったことの中で大きな問題であったのに、この問題をちゃんと見なかったということです。隠したり、うやむやにしたりしたということであります。さらに、この問題について、わたしたちの理解が足りない。随分微妙なことなので、話しにくいことがあるでしょう。被害者はこの問題に触れてほしくない。加害者は、自分は加害者であるとはあまり思っていない。両者の間には大きなずれがある。どんなにか、性虐待、性暴力によって人は傷つき、苦しむかということについて、加害者は理解していない。それしかし、わたしたちも同様で、きちんと理解していないのではないかと思うのです。

 人間にとって、性ということは非常に大切なことであり、ふさわしく、正しくこの問題を見つめ、そして一人ひとりの人が本当に人間として、人間の尊厳を認識し、お互いに大切にするようにしなければならない。そのための教会の努力は必要であると。全世界の司教協議会はそのための部署が作られ、かつ各教区にも委員会、担当司祭等が任命されております。これからの一層の努力とお祈りをしなければなりませんので、皆さんのご理解ご協力お祈りを切にお願いする次第あります。

« 弱さの中で | トップページ | 聖香油のミサ2018 »

ミサ説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/568687/66452721

この記事へのトラックバック一覧です: カトリック教会の性虐待被害者へのお詫び:

« 弱さの中で | トップページ | 聖香油のミサ2018 »