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2018年5月13日 (日)

愛する

「愛する」について(2018年5月6日)

今日は、復活節第六主日という日です。

今読んだ「ヨハネによる福音」でイエスは言われました。

「わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい。」《互いに愛し合いなさい》というご命令は、「新しい掟」といわれており、イエスが最後の晩餐、つまり十字架につけられる直前に最後に弟子たちと行った夕食の時に弟子たちに残した遺言でありました。

この「愛する」という言葉は誰でも知っていますが、「愛する」とはどういうことかということは、場合によって分かりにくいし、あいまいであるし、そして実行することが難しいとも思います。

キリスト教が日本に伝えられた時、日本に来た福音宣教者フランシスコ・ザビエルたちは、日本という遠く離れた異なる言語、異なる文化、習慣の中に生きている人々に、キリスト教の教え、特に「愛」ということをどういうような言葉に置き換えたらよいかということで大変苦労したそうであります。この「愛」という言葉は、当時あまり良い意味をもっていなかったのです。非常に誤解される恐れがあると彼らは思いました。そこで苦労のすえ「大切」、御をつけまして「御大切」という言葉にしたそうであります。

キリスト教は短い期間に多くの人に受け入れられましたが、間もなく禁止され、多くの信者は殉教しました。

それから長い年月が過ぎ、明治時代になって信教の自由が認められ、キリスト教が解禁されて、キリスト教の宣教が再開されましたが、その時は「愛」という言葉が採用されたようであります。

「愛」という言葉は、どうしてキリスタンの時代には退けられたかというと、仏教では「愛欲」の「愛」というように使われていて、つまり人間の性的な欲望を意味していると思われたからでありました。

イエスが弟子たちに対して示した「愛」、それは、その生涯、全てを捨てて弟子たちを大切にし、命すらささげるという意味であったのであります。そしてイエスは、「あなた方もそのようにしなさい」と言われた。そう言われてもなかなか実行できるものではありません。そこで、イエスは復活した後で、弟子たちの上に聖霊、神の霊である聖霊を注ぎ、そして弟子たちがいわばもう一人のキリストになるように取り計らい、霊の導きによって少しでも神の愛(原語ではアガペー、ラテン語ではカリタス、英語ではチャリティー)そのアガペーの「愛」を生きられるように取り計らってくださるようになったのであります。神の霊である聖霊は、わたしたちに神の「愛」を促すよう、いつでもどこでも働いていてくださるとわたしたちは信じるわけであります。

地上の生涯を生きた人、ナザレのイエスという人は三十年あまりの生涯で終わりましたが、死後、聖霊というご自分の霊を人々に注ぐことによっていつでもどこでも人々と共にいることができるようにしてくださった。こういう信仰がキリスト教の信仰の根本にあると思います。

しかしイエスが愛したように愛し合うということは、なかなかできることではない。むしろ、できていないという自分を自覚し、そしてゆるしを願うことがキリスト者の毎日のあるべき生き方であると思います。

なお、イエスの復活の後、教会が成立したわけですが、いろいろな問題がおこった。ユダヤ人が長い年月1000年、いや2000年ぐらい大切にしてきた彼らの掟がどうなるか、という問題です。

信仰の父と呼ばれるアブラハムに神様が命じたことは割礼という習慣です。割礼はすべての男子が生後8日目に受ける式で、神に献げられた人になるということを表すしるしでした。

それからさらに、シナイ山でモーセを通して与えられた神の掟、十戒があります。十戒とその十戒の解釈が数えきれないくらいの多くの掟、規則、戒めになりました。それを守るということは到底できないことでしたが、イエスはその割礼習慣、それから数知れない掟に代わってただ一つの掟に言い換えた、全ての掟を一つの掟に集約させた。それでやさしくなった、分かりやすくなったとも言えますが、考えようによってはもっと難しくなったかもしれない。なにしろ人間というのは、自分のことが第一です。自分の満足、自分の欲望、自分の都合を超えて人のことを大切にするということは、どんな人にも難しいことなのです。それはつくづく思います。それでも、「神様のお望みになっていることを基にして毎日互いに助け合いって生きなさい」という掟を残し、それを実行して亡くなられた人がナザレのイエスという人であり、そのナザレのイエスが後にキリストであるという信仰が生まれた。そういうようにしてキリスト教は成立し、そして教会がつくられて今日に至っているのであります。ですから今わたし達のところに神の霊、聖霊が働いているとわたし達は信じます。

神の導きに従って生きることができるようわたし達の心を聖霊の働きに委ねるようにいたしましょう。

  

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