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2019年3月15日 (金)

怒るということ

旬節第一金曜日ミサ説教

2019315日、本郷教会

 

四旬節は回心と悔い改めの時です。今日の答唱詩編でわたしたちは祈りました。

 主よ、深いふちからあなたに叫び、

  嘆き祈るわたしの声を聞いてください

これは「デ・プロフンディス」と呼ばれる祈りで、昔から痛悔の祈りとされてきました。

 あなたが悪に目を留められるなら、

  誰がみ前に立てよう。

神の前に立って誰一人罪、咎のない、と言える人はおりません。

しかしわたしたちは神の憐みとゆるしに信頼します。

   主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

 

今日の福音は山上の説教でイエスは言われました。

「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

厳しいお言葉です。どういう意味でしょうか。

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」

 

此処にいる誰一人殺人という重大な罪を犯した者はいないでしょう。体を殺す殺人はどの国でも重大な犯罪です。しかし、兄弟に腹を立てることも殺人と同じことになると言われると、それは大変なことです。おそらく兄弟に腹を立てたことのない人はいないかもしれません。わたしたちはいろいろな時に腹を立てます。兄弟に何か間違いを見つけたときに注意したり忠告したりします。その時に腹を立てているかもしれないが、それは兄弟が善くなってもらいたいと願うからです。しかし、それはその兄弟がいなければよい、と思って怒るなら問題です。その兄弟の存在を否定するような態度を取ってはならないのです。その人が死んでしまえばよいのに、と考えたり、居なくなればよいと思ったりして、その人を罵ったり怒ったり憎んだりするならば、心の中でその人を殺すことになります。

主イエスは自分を十字架につけた人々のために祈りました。「父よ、彼らを御赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ2334)

イエスはすべての人の救いのためにいのちをささげました。人に怒りを抱きその人が生きていること心のなかで否定するならば、それはその人を愛する神の愛を否定することになります。

兄弟を赦し、大切にし、尊敬することが出来ますよう、祈りましょう。

 

 

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