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2019年7月11日 (木)

ヤボクの渡し

年間第十四木曜日 聖ベネディクト修道院長記念日 ミサ説教

2019年7月11日(木)、本郷教会

 今読みました「マタイによる福音」(マタイ10・7-15)の箇所は、7月7日の日曜日に読まれた「ルカによる福音」(ルカ10・1-12、、17-20または10・1-9)とほぼ同じ内容であります。

イエスが弟子たちを宣教に派遣した時の話でありました。

イエスの宣教は、生前の宣教と復活後の宣教とに分けて考えることができます。

復活したイエスの御命令に従って、世界中で福音を宣べ伝えた弟子たちの働きのおかげで、今日のわたしたちの教会があります。

 ところで、今日はこのところ毎日読まれている「創世記」にわたしたちの注意を向けたいと

思います。

今日の「創世記」(創世記44・18-21a、23b-29、45・1-5)ヨセフとその兄弟の物語であります。

ヤコブには十二人の息子がいました。

ヨセフは兄弟から妬まれて、エジプトに奴隷として売られてしまうという展開でありました。

さらに話を遡らせると、彼らの父はヤコブであり、アブラハムの息子イサクの子、ヤコブという人の物語をわたしたちは何回か読んできたわけであります。

 7月9日の朗読(創世記32・23-333)は、ヤコブがイスラエルという名前に変えられた次第が語られています。

この話が分かり難い。どういう意味だろうか。

聖書の解釈は、聖書全体、特にその個所の文脈の中で読み取るべきであります。

そうすると、この時ヤコブはどういう心境にあったのかということが、解釈の上で重要であり鍵になります。

ヤコブは非常に苦しい心境にあった。

ヤコブには二人の妻がいましたが、お母さんの故郷の家、つまり伯父さんの家でその二人の娘を妻とし、そのラバンという伯父さんに仕えて大変良好な関係を保ったのであります。

しかし次第に彼が栄えると伯父家の人達、いとこにあたる人やその使用人との間に摩擦が生じる。

そして、ラバンのところに居づらくなり、神のお告げに従い、二人の妻と相談して、故郷カナンの地に帰ることにしましたが、その帰り方があまり良くなかった。

こっそり逃げ出すというやり方で、自分の子供たち、妻たちと家畜等の財産を伴って逃げ出したわけでありますが、そこで当然逃げられた方は面白くない、追跡するという状況になったわけでありました。

幸い話がついたのですけれど、今度は行先で兄のエサウが待っているわけで、エサウの許には事前に召使を派遣して、膨大な贈り物を事前にもって行かせ、それを差し出して兄の怒りを鎮めようとした。

御承知のようにエサウはヤコブのことを非常に憎んでいた。

長子権と祝福を奪われた、その次第が創世記で展開しています。

兄エサウは弟ヤコブを殺そうとしたので、母はヤコブの方を愛していたので、ヤコブを自分の実家に逃がしてやったという物語です。

 今やヤコブは伯父ラバンのもとには帰れない。後には引けない、前に行くのも怖い、進退窮まったという状況になった。ヤコブはともかく「ヤボクの渡し」というところまで来るわけです。

そこはヨルダン川の「ヤボクの渡し」を渡る時に、彼はものすごい心の葛藤を覚えた。

ともかく、一行は一緒に川を渡りますが、ヤコブだけ引き返して一人でテントを張った。

なぜか?そこに何者かがやって来て、夜明けまで格闘したが、それがどういう人なのか分からない。

「イスラエル」という名前をその時からつけられたというのですが、ヤコブの心の葛藤を表す物語ではないかというように解釈されています。

どういう心の葛藤かというと、兄の怒りをどういう風に鎮めたら良いか、それから川を渡って行くしか選択肢が残されていないので、どうしたら兄の怒りを解くことができるかということを彼は終夜悩み、神に祈ったのであろう。

そして、神の怒りよりも神の優しさ 神の赦し 神の慈しみに信頼し、神様の助けを願って一晩過ごしたのだろうと思われるのであります。

 神に勝ったとなっていますが、人が神に勝つわけがないわけですけれども、ヤコブは神の怒りよりも神の憐みにより頼み、そして神の怒りよりも神の憐みを選び、そして神の怒りに打ち勝ったという体験をしたのだろう。

心の中で起こった出来事をこのような物語で書き記しているのではないだろうか。

 怒りの神と憐みの神。処罰する神と赦す神の間の葛藤を表わしていて、怒る神に赦す神の方が勝ったのだという意味ではないかという解釈が、わたくしには納得できる解釈であります。

なお、この機会に創世記をよく読んでください。

 

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