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2019年7月15日 (月)

隣人を愛せよ

年間第十五月曜日 聖ボナベントゥラ司教教会博士 ミサ説教

2019年7月15日(月)、本郷教会昨日の主日の福音は、いわゆる「良いサマリア人」の話でありました。
誰が隣人であるのかという発想よりも、誰が隣人になったのかということの方が、神の愛を実行するために大切ではないだろうか、という話であったとわたくしは思います。

ところで、それでは改めて、隣人になる前に既に隣人になっている人との関係はどうなっているのだろうか、と考えさせられます。

わたしたちの生活は隣人との生活であり、隣人と言えばまず家族です。

同居している家族、あるいは同居していない家族、そして毎日顔を合わせる近所の人々、あるいは勤め先で一緒に働いている人です。

その時にしか会わない人のために出来ることをすることよりも、毎日一緒にいる人のために犠牲を献げるということの方が、かえって難しいのではないだろうか、という気がしますがどうでしょうか。

わたくし、自分の事を言うのはちょっと躊躇いたしますが、司祭になろうと思った時に今日のイエスの言葉を黙想しました。

イエスに従う者は、何もかも捨てなければならない。

しかし、自分にとって大切な家族がいて、その家族のことよりも、イエスの招きに応えることの方が大切だというならば、本当の意味で神の呼びかけに従うということになるでしょうが、家族のことは面倒だから、そっちは止めて司祭になろう、修道者になろうという動機であれば、イエスの教えに従うことにはならないだろうと思います。

日本のカトリック教会は家庭、家族という現実の中で、キリスト者がどう生きるべきか、ということについて話し合ったことがあります。それは1993年、第二回福音宣教推進全国会議でありました。

 

 

 

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