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2019年7月29日 (月)

種まきの譬え

年間第十六水曜日 ミサ説教

2019724()、本郷教会

「種蒔きのたとえ話」であります。

何度も申し上げておりますが、わたしたち教会は、イエス・キリストの弟子をつくるためにつくられ、派遣され、この東京において福音を宣べ伝えることが、わたしたちの使命であります。

わたくしの念頭にはいつも、宣教・福音化のためにはどうしたらよいだろうかということがあります。こちらが話しても聞いてもらえない、分かってもらえないという体験があります。

そこでこちらの話し方、あるいは提出の仕方、プレゼンテーションpresentation、というものに問題があるのか、あるいは受け取る方が問題なのか。

相手の方にそもそもイエスの教えを聞くつもりがない、あるいは多少あるが面倒であるとおもっているのか、一応聞くがその言葉はすぐに死んでしまう、という場合があります。

福音を告げる相手の人々は何かこの「種蒔きのたとえ話」のような状態なのかと思います。

聞いてもらえないような人に話すのは止めて、聞いてもらえるような人に話せば良いのでしょうか。そうすると相手はそれは、良い土地の人ということになるわけですけれども、良い土地の人もいれば、ここに書いてあるような、そうでない色々な状態の心の人もいる、ということだろうと思います。どうしたらいいだろうか?

いろいろ考えると分からなくなってしまう。

良い土地に蒔けば、実を結ぶわけです。そうすると、良い土地になってもらわないといけないわけです。良い土地になってもらうには、どうしたらいいのだろうか。

何か話が堂々巡りになってしまうけれど、良い土地とはどんな土地なのだろうか。

その前に我々自身が良い土地なのだろうか。

それで昨晩の勉強会の内容を思い出します。キリスト者の生活は毎日闘いである、と教皇フランシスコがおっしゃっています。

キリスト者の毎日は闘いなのです。何もしないで、のほほんとしていれば、どんどん悪くなってしまう。闘わなくてはいけない。闘って、聖性を獲得する。

どう闘うのか、相手は誰であるのかということになるわけであります。

霊的生活といいますが、ラテン語でヴィタ・スピリトゥアリスvita spiritualis

英語のスピリチュアルライフspiritual lifeです。

このスピリットspiritというのは、聖霊です。ですから聖霊に従う生活です。

聖霊に従うように毎日闘う。聖霊でないものには従わない。

聖霊の勧めであるかどうかを判断する、それを識別 英語でディサンメントdiscernmentといいます。

どうやって識別するのかを教皇様が説明しているのが、昨晩の勉強でありました。

 

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