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2019年7月 7日 (日)

命日

「命日祭のミサ」説教

2019年7月6日(土)、本郷教会

 死者のためのミサを「命日祭のミサ」と呼ぶことにいたします。

日本語で命日といえば、ある人の亡くなった日であり、祥月命日と言えば、亡くなった月のその日を指しているのであります。

わたしたちの場合、《命日》とはいのちの日です。どういういのちかというと、新しいいのちに生まれる日という意味であります。

死者のためのミサ、あるいは追悼のミサで、司祭が唱える叙唱の中に、次のような言葉があります。

「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠の住みかが備えられています。」

いのちへの門に入った日が、命日であります。

わたしたちのもとから、天の父の家へと旅立った方々、今日はその方々をしのぶ日といたしましょう。

亡くなった人のいない家はないわけです。わたしたちのために生きた人達、友人・知人、そのほかいろいろな方、教会の中では司祭、亡くなられた方を思い起こし、その永遠(とわ)の安息のためにお祈りいたしましょう。

 イエスは言われました。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」

イエスが地上にこられたのは、わたしたちを天の父のもとへと連れて行くためであり、その道をイエスは準備されました。

「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われました。

わたしたちと一緒に、わたしたちを天の父のもとへと連れて行ってくださるのが、イエス・キリストであります。

そして、わたしたちの地上の体はなくなってしまいますが、わたしたちの慈しみ深い神は

わたしたちの体を栄光ある体、主イエス・キリストの復活の体と同じような体に変えてくださるのであります。 

もちろん地上の体は、火葬にすれば灰になってしまいますが、わたしたちのあたらしい命の体、それは霊的な体であり、わたしたちの目には見えませんが、イエス・キリストの復活の体と同じような体に変えてくださるとわたしたちは信じているのであります。 

本郷教会は、毎月第四主日のミサの共同祈願で、その月に亡くなられた方のお名前を呼んでお祈りしておりますが、それに加えてわたくしは、毎月の第一土曜日に故人、亡くなられた方のためにミサをお献げし、そのミサを「命日祭のミサ」としたいと思っております。

 

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