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2019年7月25日 (木)

チェレスティーノ神父と神林宏和神父の命日記念ミサ

チェレスティーノ神父と神林宏和神父の追悼ミサ   
                                                                                               7月22日(月曜日)本郷教会

 

きょう7月22日は、マグダラの聖マリアの祝日でございます。
今日という日に命日祭のミサを献げることになったのは、そもそも小池俊子さんからの依頼があって、二人で日にちを決めてしまったのであります。そして、あとはわたしの勝手ですが、最近神林神父さんが亡くなったので、二人合わせて追悼のミサ・命日記念ミサをあげようかと、これはわたしの方で決めてどんどん進めてしまった訳でございます。
そして、7月22日はどんな日なのだろうかと見たら、マグダラの聖マリアの祝日であると。これは相応しい日であるなぁーと思いました。
マグダラのマリアは非常に有名な女性です。いろいろな方が彼女に大きな関心を持っていますが、教会の歴史の中でも彼女の存在と働きは大いに評価されていると思います。
復活したイエスに最初に出会ったのはマグダラのマリア。ペトロではない。男性の弟子ではない。男は全然ダメでありました。それで、マリアは使徒たちへの使徒と呼ばれています。使徒に使徒した人。使徒したという日本語はないのですけれど。ですから、男性の使徒たちが使徒として働いたのはマグダラのマリアのおかげであって、マグダラのマリアなしに初代教会の男性の使徒たちの働きはなかったと言っても過言ではない。それなのに、だんだん当時の社会観の影響でしょうか、どんどん彼女を横の方に押しやって男性中心の教会構造をつくってしまったのかなと、思います。
マリアにイエスは呼びかけたわけですね。「マリア」と呼びかけました。呼びかけられて初めて彼女はその人はイエスだと気が付いて「ラボニ」と言った。先生という意味であるとヨハネは告げています。非常に劇的な場面であります。このマグダラのマリアの体験が、わたしたちの教会の基礎中の基礎ではないだろうかと思うわけで、その辺を、今日見えている阿部神父さんのような日本の神学者話していただけると、神学的な学問的な基礎付けのある話になると思います。
次に今日の第一朗読についてです。
パウロという方は、生前のイエスに出会っていない。復活したイエスに出会って、まあ、電撃的な回心をした方であって、生前のイエスと生活と行動を共にした弟子たちの間には、ある隔たりがあったわけですが、パウロは力強く「自分は、イエスから召された使徒である」と強調しています。
「キリストの愛がわたしを駆り立てる」。この言葉はわたしの前任者の白柳誠一大司教モットーでした。パウロはキリストの愛に駆り立てられて生涯を終わった。
今日の第一朗読でパウロが言う「一人の人がすべての人のために死んだ」とは。これは言うまでもなくイエスがわたしたちのために死んでくださった、ということに他なりません。では「すべての人も死んだことになります」とはどういうことでしょうか。多分こういう意味だと思う。それは、わたしたちも、イエスを信じて、主イエスの死に与る者とされた、されている、という意味です。洗礼を受けるということは、イエス・キリストの死と復活に与るということであり、古い人間が死んで新しい人と復活するということに他ならない。古いものが過ぎ去り、新しい者が生じたという意味だと思います。思います。

 

さて、このようにして生まれた教会で司祭として生涯にわたり多大な貢献をされた司祭が、チェレ神父と神林神父です。
今日はお二人に深い縁のある方が集まってくださいました。ほんとうにありがとうございます。
チェレスティーノ神父につきまして、もうわたしにとっては恩人中の恩人であります。2000年にわたしが東京大司教になりました時に、チェレスティーノ神父は既に2000年の4月から司教館に来て住んでいました。白柳大司教様に任命され事務局長になっていました。それ以来、2011年まで11年間わたくしと一緒に生活し仕事をしてくれた方であります。その間、総代理もし、大司教秘書もしてくださった。もうチェレスティーノなしにわたしの仕事は成り立たないというくらいに大変心強い方でありましたが、その苦労たるや大変なものであったと思います。その点で、わたしはふだん神経質な割には能天気で、どんなに彼が苦労したかということは、あまり察しなかったのですねぇ。今申し訳ないと思います。
それについては、みなさん、入り口でこれを受け取ったと思いますが、これはチェレスティーノ神父の葬儀の時に幸田和生補佐司教が行った説教なんです。そして、この写真はチェレスティーノ本人が撮ったカテドラルの青空の写真です。チェレスティーノというその言葉が青空を意味していて、そして写真が趣味でした。なかなか時間がなくて写真もできないようになってしまったのですが。そういうようなチェレスティーノのことを傍で幸田和生さんはよく見ていて、このように愛情深い説教を残したんですね。わたくしいくら思い出しても葬儀の時自分が何を言ったのか思い出せないのですけれど、それは当たり前です。わたしはしなかった。説教したのは幸田さんのほうなんです。
わたしは何をしたかというと、納骨式の時にひとこと言っているに過ぎないんですね。まぁ、わたしが言ったのか、周りの人が察したのか、お前は辛いだろうからその仕事は他の人にということで、幸田さんになったのだろうと思います。
チェレスティーノさんは、ここに11年居て、そのあと立川教会に行き、わずか3年で帰天してしまったのです。
チェレスティーノ神父緊急入院の知らせを受け、病院に見舞いに行き、医師からの説明を受けたのですが、そんなに早く帰天されるとは誰も予想しなかったので、ほんとうに辛い悲しい記憶であります。
チェレスティーノ神父さんの故郷にもわたしは行きました。「ボナテ」という所なんですが、そこの教会でミサもあげました。お母さまはお元気で、多分今も健在だと思うのですけれど、ほんとに残念であります。今日ここにいらした方々に、時間のゆるす限り、チェレスティーノ神父について一言でもお話していただけたら彼も喜ぶと思います。
 神林神父さんについては、神林神父さんにも大変お世話になりました。わたくしがカトリック中央協議会で働いていたときに、わたしを親切に丁寧に指導してくださった方なのです。
 ちょうど、ナイス、福音宣教推進全国会議が開かれた前後で、神林神父さんは、この重要な会議で、いわば裏方で、すべてを仕切っておられたのです。東京教区の岩橋神父さんと一緒でありました。あと、松本三郎という京都の神父さんもおりました。それで、わたくしと4人の司祭がナイスの裏方をしたのですけれど、神林神父さんが実質的な中心の役割を果たしたと思います。大阪に帰られて事務局長などなさいましたが、わたしにとっては、東京で毎日会っていた神林宏和、みんなから「かんばさん」と呼ばれていた彼のことが、今もほんとに鮮明な記憶となっているのであります。先日訃報を聞いて、ほんとうに心からの哀悼の意をお伝えした次第であります。
 きょうは皆さんに集まっていただきまして、ほんとに二人も喜んでくださると思います。
 予定ではこのあとすぐ共同祈願となっていますが、あらかじめ二人の方にお願いしましたので、お二人の神父について述べていただきます。

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