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2019年7月22日 (月)

宣教・福音化のミサ

宣教・福音化のための土曜日のミサ 説教
2019年7月20日(土)、本郷教会

 

主イエスは、弟子たちのもとから離れて天に昇るに際し、弟子たちに命じて言われました。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタイ28・19)
イエス・キリストの弟子をつくるということが、弟子たちに与えられた使命であり、そして弟子たちの後継者であるわたしたち教会の任務であります。

 

この教会の使命任務をミッションmissionという言葉で言い表してきまして、ラテン語ではミッシオmissioですけれども、もともと「派遣する」という意味であります。
あなたがたは「行って」と言われました。
イエスが弟子たちを派遣したのであります。
「行きなさい」ということはつまり「派遣する」という意味であり、「派遣:はラテン語でミッシオmissioです。そして「派遣する」ということは、使命を行わせるということであり、その使命はイエスの教えを宣べ伝え、イエスの弟子をつくるということ、つまり宣教であります。
そこで、ミッションmissionという言葉は、「派遣」「使命」そして「宣教」という三つのことを同時に意味する同じ言葉であります。
さらに,後になって福音宣教、あるいは福音化という言葉が頻繁に使われるようになりました。これはエヴァンジェライゼーションevangelization、ラテン語のエヴァンゲリザティオevangelizatioという言葉の翻訳であります。
福音化とは、人々を福音に与る者、福音を生きる者に変えていくということと同時に、この社会・文化を神の国の到来に相応しいものに変えていくために働くということであります。
ですから平和のために働く、平和を実現するために働く、あるいは一人ひとりの人が大切にされるため、別な言葉で言えば、差別や人権侵害をなくすために戦うということも、福音化であります。
今のこの日本において、イエスの命じた使命を行うということは何をすることだろうか。

 

日本のカトリック教会は、1987年11月23日の前後三日間に、「福音宣教推進全国会議」というたいへん大がかりな会議を開きました。この会議は「開かれた教会づくり」というスローガンを掲げたのです。
誰に開かれているかというと、教会にあまり縁がない人、教会には行きづらい人、苦しんでいる人、後回しにされている人、悩んでいる人、いろいろなことで生きることに力が足りない、生き辛さを感じている人、そういう人のために力となる、安らぎとなる、助けとなる、そういう教会共同体のあり方を目指そうということで開かれた会議であります。
その会議の結果を三十年以上経って、どのような効果があったのか、どのような変化がわれわれ教会の中に起こったのかということを振り返ると、わたくしの正直な感想では、確かに良くなった部分はあるが、総体としてあまり変わらなかった、どうしてだろうという気がしております。

 

若い皆さんにこの問題を是非考えていただきたい。
人を変えるためには、自分が変わらなければならない。
自分がそのままでいて、人に変われというのはまったくおこがましい話であります。
わたしたちは福音というものを、どういうように受け取っているのか、どういうように生きているのか、どのような生きる喜びを、生きる動機づけをもって生きているのか、それをどういう表現で、どういう行動で、人々に表わし伝えていくのかということが、わたしたちに問われていると思うのであります。

 

 

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