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2019年7月25日 (木)

国政選挙の日に

年間第16主日 7月21日(日曜日)

                                                                                                                          茂原教会

年間第16主日の福音朗読はルカの福音10章。マルタとマリアの姉妹の話しであります。きょう主イエスがマルタに言われた言葉をご一緒に深く味わってみたいと思います。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」.

イエスは度々、マルタとマリアの家、ベタニアというところにありましたが、そこに赴いて、しばしの憩い安らぎの時を過ごしていたようであります。そこに、マルタとマリアという姉妹がいました。そして、ラザロという男の兄弟もいたようであります。

イエスはこの兄弟姉妹を深く愛していたのであります。「マルタ、マルタ」と二度もマルタの名前を呼んでいるところに、イエスがマルタに(かけている)対して持っている思いが現れているように感じます。

「あなたは多くのことに思い悩み心を乱している」

一生懸命イエスをもてなすためにマルタは忙しかった。ほんとに心からイエスをお世話することに心を砕いている様子が目に見えるようであります。そのことは大変素晴らしいことだと思われます。ただ、マルタは一生懸命になるあまり思い悩み心を乱し、そして、姉妹のマリアに対して不満を抱いたところにイエスの注意が向けられた。自分はこんなに忙しくしているのに、マリアの方は何にもしない。そういう気持ちが表明されている。このマルタの気持ちは分かるような気がいたします。イエスの方はマリアの方を庇ってというか、弁護しているようですが、マルタの事も深く思っている。両方の姉妹のことを、イエスは深く思っているのではないだろうか

自分が人をもてなすために一生懸命になる。それは良いことですが、自分の通りに他の人がしないことで、思い悩み心が乱れるということは良くないですよと、そういう意味でしょうか。

ここで連想されるイエスの言葉があります。

イエスは山上の説教で言われました。「生活上の事でどうしようかと思い悩まないで、天の父の計らいに信頼しなさい。ただ、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、必要なことは、必要なものは、それと一緒に与えられるでしょう。」

まあ、そう言われましても,わたしたち生身の人間は、生活上のいろいろな心配があります。心配するということと生活の必要のために心を配るということと、どこがどう違うのでしょうか。同じなのでしょうか。

おそらくわたしたちはいろいろなことに心配ではなく心を配らなければならないし、事実そうしております。しかし、天の父がわたしたちをいつも見守り、そしてわたしたちを助け導いてくださる、という信仰が一番大切ではないだろうか。

マリアの方は、ひたすらこのイエスのお言葉を聞くということに専心しております。またとない千載一隅の機会。ただただひたすらその足元に座って、直接イエスのお言葉を聴く。これ以上ありがたいことはない。他の事は別な時にゆっくりすることができるが、このイエスのみ言葉を直接そばでお聞きする(耳にする)ということは、ほんとに他のものには替えられない素晴らしいことなんだ。そのようにマリアは思っていたのだろうと思います。

きょうは日曜日、日曜日は主の日。主のために献げられる日であります。

主に献げるということは、まず他の事は止めて、直接主のために自分の体も心も用いるということであります。何よりもまず神のことば、主キリストの言葉を聴き、思いめぐらし、そして主の御体をいただき、お互いに主キリストにおいて一つであるということを確かめあう日であります。

他になすべきこと、たくさんあるのですよね・・・。

そうだ、今日は国選選挙の日でした。 わたしも帰って投票しなきゃいけないのですけど、それはどうでもいいというわけではない。しっかり投票いたしましょう。どの政党に投票するかってことは言いませんけど。政教分離ですから。

でも、神の国とその義を求めるというときに、日本の国会の選挙とが、どう関係があるのかということを、チラッとでも考えることは意味のあることだと思います。

でも、大切なことはあらゆることを置いてでも、特定の日、特定の時間、できたら聖堂で神の言葉、イエス・キリストの言葉を聴き、そして思いめぐらし、その言葉が自分の人生にどういう意味があるのかということをひたすら考えるということではないだろうか。

みなさんはその恵まれた時を過ごしていらっしゃいます。

 

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