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2019年8月18日 (日)

宣教・福音化

宣教・福音化のための土曜日のミサ 説教

2019817()、本郷教会

 

わたしたち教会がなすべき使命は「福音宣教」、あるいは「福音化」という言葉で言い表されます。

今日の福音でイエスは言われました。

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタ2819

イエスの弟子をつくることが、福音宣教であると思います。

しかし、イエスの弟子になるということと、福音を受け取ってイエスに従う者になるということの間に、繋がりがあるはずでありますというよりは同じことであります。

イエスの教えは「福音」と呼ばれ、喜ばしい便りであります。

教会は、人々にとって、喜ばしい便りを伝えてきました。

そこで多くの人が教会に加わった。

当初、イエスの福音を受け入れた人は、貧しい人々でありました。

イエスの周りに集まった人は、貧しくそして力がない、社会の中で周辺に押しやられていた人々であります。

「貧しい人々は、幸いである」(ルカ620)、あるいは「心の貧しい人々は、幸いである」(マタ53)とイエスは言われました。

貧しい人にとって、イエスの存在とイエスの言葉は、本当に喜ばしい言葉、救いの言葉でありました。

ところで、時代は移り変わって、キリスト教は当初は迫害される宗教でありましたが、ローマ帝国の中で非常に人数が増えると、ローマ帝国はキリスト教徒の存在を認め、そして紀元313年という年に、キリスト教を公認しました。

そして、その後キリスト教はさらに発展し、ついにローマ帝国の宗教、いわば支配階級の宗教となりました。

そこから本来の教会の在り方に少しずつ変化が生じてきたのであります。

貧しい人の宗教であった、貧しい人のための福音であったにもかかわらず、支配する人、権力のある人、財産を持っている人、名誉のある人々の宗教になっていったために、本来のイエスの教えと逸れていくという問題が生じたわけであります。

そこで教会は、何度も改革をしてきました。

1962年から1965年、「第二バチカン公会議」が開催されました。

その公会議を受けて、その10年後の1975年にパウロ6世教皇は福音宣教についての新しい教えを発表しました。

日本のカトリック教会としては、1987年に「福音宣教推進全国会議」を開いて、日本の社会にイエス・キリストの福音を宣べ伝える努力をすることを再度決意したのであります。

その時に、「開かれた教会」にしようという目標を掲げました。

そして、貧しい人、苦しんでいる人、孤独に苦しんでいる人々にとっての温かい交わりが憩い、助け、支えとなる、そういう共同体を造ろうという決心を表明したのでありました。

それからもう30年以上経ったわけでありますけれども、この決意はどの程度実行されてきたでしょうか。

開催時の決意を実行する当事者の一人であるわたくしとしては、とてもまだ道は遠く、大変恥ずかしいという状況にあると思います。

一人ひとりの人が、自分にとって福音とは何であるのか、自分はなぜキリスト者になったのか、どういう喜びをもって信者になり、どういう支えをいただいてきたのかということをご自分の言葉で話し、かつその信仰を生活の中に反映させることが、本当に正しい有効な宣教ではないかといつも考えております。

この暑い夏が過ぎて、秋になる時に改めて教会の使命をご一緒に考えたいと思います。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

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