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2019年8月14日 (水)

子どもの心

間第19火曜日

8月13日 

第一朗読  申命記 31:1-8

福音朗読  マタイによる福音書 18:1-5、10、12-14

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

[ これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」 

説教

今日のイエスの言葉をご一緒に黙想しましょう。

「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」

「心を入れ替えて子供のようになる」とは何を意味しているでしょうか。わたしたち大人は自分の考え、自分の思い、というものをもっています。すでに成長する過程で、物事を見、判断するための枠組みが出来ています。その枠組みに合わせて物事を判断し人の価値を決めたりしています。まだ子どもにはそのような枠組みが出来ていない。白紙のような状態でしょうか。教育というのは、子どもに正しい考え方、判断力をつけるようにすることだろうと思います。

子どもの場合、善い事、悪い子も、そのまま子どもの心に入って、刷り込まれてしまいますので大人の責任は重大だと思います。

天の国とは、神様の恵みが行きわたっている状態です。天の国と神の国は同じことです。神の支配が神の国です。わたしたちは、頭では、神の恵みを受け、神の御心を行うつもりでいますが、なかなか素直に、謙遜に、神様の恵みを受け取るようには出来ていないと思います。

例えば、天の国で一番偉いのは誰か、ということが弟子たちの関心事でありました。偉いかどうかということが彼らにとって大切であったようであります。

「偉い」というのは通常の意味で「権力がある」ということです。あるいは、「名誉がある人である」あるいは「人を動かす力がある」ということでしょうか。

自分が偉いかどうかということを第一の関心にする人は天の国の人ではないと思います。

ではわたしたちはどうだろうかと思います。本当に柔和、謙遜なイエスに倣って生きているだろうか、と思います。

この前の日曜日の福音ですが、わたしたちは、自分の生涯の終わりにその人生の総決算をしなければならないのです。その時に、どれだけ柔和、謙遜に生きたか、そして平和を実現するために力を尽くしたか、ということが問われているのだと思います。

 

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