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2019年8月28日 (水)

偽善者

間第二十一月曜日 ミサ説教

2019年8月26日(月)、本郷教会

 

今日からマタイによる福音書の23章が読まれます。

イエスは律法学者、ファリサイ派の人々を攻撃して言われました。

「あなたたち偽善者は不幸だ。」(マタ23・13)

この「不幸だ」という訳語は、「災いあれ」とも訳されております。

「不幸だ」というと優しく聞こえますが、「災いあれ」というと、呪いの言葉であります。

わたしたちの文化では、言葉遣いに非常に注意をしていて、悪い言葉は口に上らせないように気を付けています。

「呪う」という場合は、目の前にいる人に対して、直接的に強い言葉で悪い事をハッキリと述べて、その言葉が実現することを祈るという意味が込められている。

イエスの、律法学者ファリサイ派の人々に向けて言われた言葉は、単にあなたがたは不幸であるということだけではなくて、その人達自身の現実をはっきりと強く否定し、非難する言葉でありました。

そしてその理由の第一は、彼らの「偽善」ということにありました。

「偽善」は、ὑπόκρισις(hypokrisis)ヒポクリシィスと言いますが、書いて字の通り「善を偽る」、「善でないのに善であるように見せかける」、「外側だけよく見せる」ということが、「偽善」であります。

「あなたがたは白く塗った墓のようだ。中は醜い死体でいっぱいだ」という、この上ないほどのひどい罵倒の言葉を浴びせているわけであります。

人は多少とも偽善ということがあるかもしれない。

いろいろな宗教で偽善ということは、いつも付き物であると言ってもいいでしょう。

自分の真実を誤魔化して、外側だけよく見せるということを人間はしがちであります。

律法学者、ファリサイ派はそのような人々の代表といえるのであります。

イエスはそういう人達に対して、「災いあれ」と言われた。

ナザレのイエスとはどんな人であるのかということをわたしたちは日々祈り求め、知ろうとしています。

「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい」(マタ11・29)と言われましたが、他方、このように激しく偽善者を糾弾する面もあったことを、わたしたちは心に留めるべきではないでしょうか。

 

 

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