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2019年9月 5日 (木)

悪からの解放

聖グレゴリオ一世教皇教会博士

93日、本郷教会

 第一朗読  テサロニケの信徒への手紙 一 5:1-69-11

兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。

 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。

 福音朗読  ルカによる福音書 4:31-37

(そのとき、)イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。

 

説教

故郷のナザレで神の国福音を宣べ伝え始めたイエスはガリラヤの町カファルナウムに来て、安息日に人々に教えておられました。人々はイエスの教えに非常に驚いたと今日の福音が告げています。それはイエスの言葉には権威があったからでした。権威があったというのは、イエスが自分自身の教えとして、自部自身の言葉として話したからです。律法学者やファリサイ派の人々はモーセの律法に基づき、モーセに律法にはこのように書いてあるというように教えましたが、イエスは自分自身の教えとして話したのでした。

またイエスの言葉には、力がありました。イエスの言葉はその内容をすぐにその場で実現させる力を持っていました。イエスが、男にとりついている悪霊に向かって「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行ったのでした。

イエスは公生活・宣教活動において、何をしたのかということを考えてみますと、神の国の福音を宣べ伝えるとともに、病人、障がいのある人を癒し、また悪霊にとりつかれた者から悪霊を追い出したのであります。

わたしたちは毎日主の祈りを唱え、結びの祈りとして「わたしたちを悪からお救いください」と唱えています。この「悪」という言葉は「悪霊」というように解釈することもできます。ナザレで宣教を開始したイエスは「捕らわれ人に解放を告げる」というイザヤの言葉を引用しました。昨日のミサで「捕らわれからの解放とは何か」ということをお話ししましたが、今日の福音からさらに考えるに、それは「悪からの解放」であり、悪からの解放の中には悪霊からの解放が含まれています。教皇フランシスコは使徒的勧告『喜びに喜べ』の中で、「悪魔は実在する。その誘惑に負けないよう絶えず聖霊の助けを祈らなければならない」と教えています。

聖霊の助けを祈りましょう。

 

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