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2019年9月 9日 (月)

イエスの挑発行為

年間第23月曜日ミサ説教

 

第一朗読  コロサイの信徒への手紙 1:24-2:3

福音朗読  ルカによる福音書 6:6-11
(ある)安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は身を起こして立った。そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。

 説教

ナザレのイエスという人はどんな人だったのでしょうか。

わたしたちは福音の朗読を聞きながらイエスはどのように生きたのか、そしてどのようにして十字架刑に処せられるようになったのかということを学んでいます。

今日の福音によると、「律法学者、ファリサイ派の人々は怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」と出ております。今日の箇所から、イエスの態度は非常に挑戦的、あるいは挑発的であったと言えましょう。彼らがそのように怒り狂うほどに、イエスに反発するだろうということは充分に予想されていたにもかかわらず、あえてイエスは右手の萎えた人を癒す行為に出たのであります。安息日に掟を破る者として、瀆聖の罪を犯す者として、イエスは十字架に架けられるようになったのでありました。

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