無料ブログはココログ

« 野坂操壽葬儀ミサ説教 | トップページ | 新しい革袋 »

2019年9月 6日 (金)

ペトロの召命

年間第二十二木曜日 ミサ説教

2019年9月5日(木)、本郷教会

 

今日の福音は、ペトロ、そしてヤコブ、ヨハネの召し出しを告げています。

昨日の福音で、ペトロの義母のいやしが告げられています。

ペトロの召し出しよりも、ペトロのしゅうとめの方のイエスとの出会いの方が、先にあったのでしょうか。

ペトロの家には、多くの人が出入りしていたようであります。

ペトロの召し出しの話は、いろいろなところですでに話されていて、強く記憶されていますけれども、ペトロのしゅうとめの話はあまり注目されていない。

イエスは、多くの病人をいやされましたが、その中にペトロのしゅうとめのいやしがありました。

人々がイエスに願ったので、イエスは彼女をいやされた。

いやされた彼女はすぐに元気になって、人々をもてなしたと出ております。

今日はその続きの箇所であって、漁師であるペトロがイエスの言葉に従って、

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」(ルカ5・5)とこたえて、そして沖に出て網を降ろしたところ、おびただしい魚がかかったという奇跡的なすなどり〔漁〕の話であります。

ペトロは、おびただしい魚がとれたことに非常に驚き、そしてさらにおそれを感じました。

「シモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。』と言った。」(ルカ5・8)とあります。

聖なる人のそばにいると感じた時に、人は自分が罪深い者であるということを感じます。

明るい光に照らされると、小さな埃やゴミまでが分かると同じようなことなのでしょうか。

ペトロは、イエスがただの人ではない、神から使わされた聖なるお方である、と直感したのだと思います。

ペトロの召し出し、長いペトロの生涯の話がここから始まります。

わたしたちも自分の召命ということを思い起こし、これから為すべきことを考えてみなければならないと思います

« 野坂操壽葬儀ミサ説教 | トップページ | 新しい革袋 »

ミサ説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 野坂操壽葬儀ミサ説教 | トップページ | 新しい革袋 »