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2019年9月 6日 (金)

新しい革袋

年間第二十二金曜日 ミサ説教

2019年9月6日(金)、本郷教会

 

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。」(ルカ5・37)と、イエスは言われました。

「新しいぶどう酒」とは何でしょうか。

「新しい革袋」とは何でしょうか。

エレミヤの預言において、新しい契約という言葉が出てきます。

「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。」

(エレ31・31)

「わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、かれらはわたしの民となる。」(エレ31・33)

「そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。

彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。」

(エレ31・34)

新しい契約の預言であります。

「新しいぶどう酒」、そして「新しい革袋」という言葉は、このエレミヤの「新しい契約」

の預言と関係がある。あるいは、新しい契約のこと自体をさしているのかなぁというように思います。

「花婿が奪い取られる時が来る。」(ルカ5・35)とイエスは言われた。ご承知のように、それは、イエスが十字架刑につけられる時のことを言っていると思われます 。

そして、 新しい契約の血を流されたイエスは復活し、父のもとに昇り、聖霊を弟子たちの上に注がれました。

パウロのローマの信徒への手紙の中で、次のように言われています。

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ロマ5・1 - 2)

「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ロマ5・5)

エレミヤは、わたしたちの心に新しい律法を記すと言われました。

それは石の板に刻まれた律法ではない、直接一人ひとりの心の中に、神がしるしてくださる

律法であり、そしてそれは聖霊の注ぎによって実現する、と言われたと思います。

わたしたち新しい契約の神の民は、新しいぶどう酒、新しい革袋の神の民として、日々神の新しさを生きることができるよう、祈りましょう。

 

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