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2019年9月29日 (日)

Pope

 フランシスコ教皇様のためのミサ

聖トマス西と15殉教者の祝日 ミサ説教

 2019928()、本郷教会

 わたしたちの教会、ローマカトリック教会の最高司牧者であるフランシスコ教皇様が、11月に日本に来られますので、教皇様の良きお働きのために、このミサを献げたいと思います。

 今日のミサは、聖トマス西と15殉教者の記念日となっております。

 日本は殉教者が多い国であります。

 「殉教者の血はキリスト者の種」という言葉がありますが、わたしたちのキリスト教という宗教は、この殉教という事実によって成立し、発展して来ました。

 今読んだ福音は、イエスが御自分の受難について予告している言葉だと思われます。

 「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」(ルカ944

 この言葉の意味を、弟子たちはよく理解できなかったが、朧気ながらも感じています。

 「彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」(ルカ945)とあります。

 実際のところ、福音書が多くのスペースを割いて述べているように、ナザレのイエスは、人々から見捨てられ惨めな恥ずべき犯罪人として処刑されたのでありました。

 磔の刑になった人を創始者と仰いでいる宗教というのは、ほかの宗教のことをよく知っているわけではありませんが、非常に珍しい。

 わたしたちは当たり前に受け入れておりますが、これは大変なことで、ナザレのイエスという人は、政治的にも宗教的にも恥ずべき犯罪者、異端者、反逆者と烙印を押されて、処刑されました。

 弟子たちは、そのイエスのことが最初は分かりませんでしたが、後にイエスの復活という出来事に遭遇し、生前のイエスの言葉と行動の意味を理解することができるようになりました。

 イエスの弟子の筆頭、12人の使徒のかしら(頭)とされた人がペトロという人ですが、ペトロの最期は、今の教皇庁の置かれているバチカンの丘で処刑されたと伝えられています。

 ペトロの後継者たちも次々と殉教しました。

 ローマカトリック教会は、その指導者が続けて次々と処刑されたのであります。

 そのような迫害と殉教の時代が約三百年続いて、その後多くの人がキリスト教に帰依するようになりました。

 ペトロをイエスの弟子の代表と考えるキリスト教は、ペトロの後継者をローマの司教と考え、その後継者たちが全世界の教会の最高の牧者であると仰いでいるのであります。

 二千年の間にいろいろなことがありましたが、歴代の教皇たちは主イエス・キリストと最初の弟子たちであるペトロたちに倣うように努力を重ね、教会の刷新に努めて来ました。

 現在の教皇フランシスコは、就任以来教会の刷新に努力する決意を表明し、貧しい人のための教会となるように、ご自身の教会の総本部であるローマ教皇庁を改革する決意を公にされたのであります。

 教皇フランシスコについては、いろいろな人がいろいろなことを言っておられるので、今日はわたくしがローマ滞在中に知った教皇様について少しお話ししたいと思います。

 わたくしは、わたくしの前任者である白柳誠一大司教(のちの枢機卿)の命令で、1975年にローマに留学しました。

 時の教皇はパウロ6世(在位19631978)という方でありました。

 大変立派な方で、のちに列聖されたヨハネ23世の開催した第二バチカン公会議(19621965)を引き継ぎ、成功裡に実り豊かな成果を得て終了させた方です。

 そ10年後の1975年には、「教会の使命は福音宣教である。良い便りを人々に宣べ伝えると共に、福音の教えを実行することである」ということを強調されました。

そのパウロ6世は、1978年の8月にお亡くなりになりました。

 そして、教皇選挙が行われて、イタリア人の司教でヴェネツィアの総大司教のアルビーノ・ルチアーニAlbino Lucianiという方が選出されたのであります。

 この方は、史上初めて教皇名にダブルネームというか二つの名前(複合名)を採用した、ヨハネ・パウロ1世(19121978)です。

 その後のヨハネ・パウロ2世は皆さんよく記憶していると思いますが、ヨハネ・パウロ1世を名乗ったのです。

 2世、3世が続くかどうか分からないのに、最初から1世を名乗るのは異例であり、1世とはつけないのが歴史上の慣例でしたが、彼はヨハネ23世教皇とパウロ6世前教皇二人の前任者たちへの尊敬を込め、彼らの路線を継承し、発展させる決意を示すために、二人の教皇名を受け継いだと言われております。

 しかし、就任僅か一か月余り、33日間の在位で亡くなってしまったのです。1978928日のことでした。

 非常に残念なことでありました。

 僅か一か月余りの在位でしたが、ヨハネ・パウロ1世は大きな働きをしました。

 さまざまな改革の方針を明確に打ち出し、具体的な改革の実行に取りかかりました。

 就任式を従来の豪華な戴冠式ではなく、牧者に就任する式としました。

 ローマの司教はローマ司教区だけでなく、全世界の教会を司牧する責任者であるので、従来は王や皇帝が就任する時に冠を受けるような教皇戴冠式をおこなっておりました。

 それを廃止して、最高の司牧者に就任する式としました。

 教皇冠は三重冠と言って、三重になっていて三つの権能を表していると言われている非常に豪華な美しい宝石をちりばめた冠ですけれども、その戴冠式をおこなわずに、最高の司牧者に就任する式、牧者の任務を開始する式というように命名をしました。

 さらに教皇は、お父さんという意味の英語ではポープPope、イタリア人はパーパ Papaと言いますが、それに大祭司という意味のポンティフィックスPontifex、ローマの大祭司の称号がローマの司教の称号と一緒になって、シュプリームポンティフィクスSupreme Pontifex最高位の大祭司と言うようになって、どんどん名称が栄誉ある名前になり、複雑になったのです。

 ポープ・ジョンポウル・ジ・ファーストPope john Paul the Firstになった訳であります。

 教皇が人々の前で公式に発言する時は、従来は一人称を特別な言い方(日本の戦前の天皇陛下のお言葉に思い起こすと「朕」という言い方でしたが「わたくし」という意味であります)、教皇も「朕」に相当する一人称複数である「我々」(「我々は今日風邪をひいた」というように使い、「我々」と言っても御自分一人の意味でありますが)を止めて、普通に「わたくし」という言い方にしました。

 彼は、飾らない柔和謙遜で率直な人柄で愛され、人々から「微笑の教皇」スマイリングポープSmiling Popeと呼ばれておりました。

 司牧者から教皇になった方でありまして、経歴から言って教皇庁の重要な職務に就いていた人ではなかった。

 何々省の長官とかそういう役職をしていて、それから教皇に選ばれた方ではないです。

 そして、就任する時は、大司教に就任する時に受けるパリウムPallium、これは世界中で教区大司教になる人は全部受けるものですけれども、そのパリウム、首輪のような物を受けて、冠は着けない、立派な輿に乗ることも止めまして、素朴な皆に仕える牧者であるということを身をもって表現しました。

 そして、教皇庁の改革を決意し、当時バチカン銀行(正式名称:宗教事業協会)のスキャンダルがいろいろ報道されていましたが、バチカン銀行の改革をすると宣言したりしたのですが、一か月で亡くなってしまわれました。

 本当に残念なことでした。

 このヨハネ・パウロ1世の次を選ぶために、僅か一か月でまた教皇選挙になって、帰ったばかりなのにまた呼び集められてもう一度選挙をして、ヨハネ・パウロ2世が選ばれたわけです。

 ヨハネ・パウロ2世は難病を持っていましたが、非常に長い年月を最期まで教皇を務められました。

 その後のベネディクト16世は、皆様覚えていらっしゃるでしょうが、6年ほど前に数百年ぶりに終身ではなくて在任中に退位を宣言し、そこで今のフランシスコ教皇が選出されたという歴史があるわけです。

 教皇という重責を担われる方々が、どんなに大きな負担を担っておられるかを想像しながら、日本に来てくださるフランシスコ教皇様のために、わたしたちの心からのお祈りを献げると共に、教会の改革が進むようにとお祈り申し上げたいと思います。

 

 

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コメント

せっかくこういう形で、司牧が容易になった時代なのですから、司祭職の方のブログでは、福音を述べ伝えて頂きたいと思います。
先の清瀬の例ではないですが、教会の権威を自分の権威と勘違いしているのか、床屋談義の延長線上にあるような話を載せるような事態を見るにあたっては、なぜこの人に、教会は司祭服を着せているのか分からなくなります。
本人からはときより「黴臭い神学」などという言葉が、彼の口から漏れ出るような事もあり、本人は気付いているのかわかりませんが、一般信徒からは不評を買うこともしばしばです。
教皇様の名前は、恐らくその時代の要請に応じて、信徒たちによりよく生きるためのヒントを与えているのだということに最近気づきました。司祭も人ですから、色々あるとは思いますが、司祭職の本質とは何でしょうか?その点、今一度熟考願います。
私自身は今、個人的に日蓮系を標榜する政権与党系の某新興宗教の信徒たちからの悪質で執拗な嫌がらせにあっていますが、少なくとも教会が目をかけてあげないといけない人間達というのは、彼らのように教会の外に数百万単位、いやそれよりももっと大きな規模でいるわけです。
彼らは法律や、警察の取締の網目をくぐって、相当に幼稚で陰湿な迷惑行為を一般人を対象として平然と行うようなことを躊躇いません。そのような彼らは、世界観の歪みによる一種の人格障害に陥っている状態であると言えると思います。手に負えないのは、世界観の歪みというのは外から見たのではわかりませんし、彼らの日常生活というのは外形上健常者とさほど変わりがないということです。
しかし、彼等の一部と話していて分かったのは、彼らは言葉を理解しません。また、他者に対する想像力がありません。
日本の戦後教育の失敗とマスメディアの勃興というダブルパンチで、正気を失った年金受給者である高齢者や、そういった人間に従順な層の人々が、現役世代を、彼らの教条に基づいて締め上げる。今の日本は、そういう野蛮が許されるような状態です。彼らの貰う年金は私達が支払っているのにも関わらずです。これは明らかな集団病理です。
この件、先の司祭に相談をしましたが、彼からは成す術がないとのことでした。
日本の宗教界というものは、こういった状態は放置し、自らを正道であると主張することばかりに熱を上げている。そういう指摘をされても誰も反論できないのではないしょうか?

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