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2019年10月 6日 (日)

平和があるように

年間第二十六木曜日 ミサ説教

2019103()、本郷教会

全世界のカトリック教会では、10月を「福音宣教特別月間」と宣言しております。

教会の典礼は、101日が「聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士」の記念日、102日が「守護の天使」の記念日、そして明日104日は「聖フランシスコ(アシジ)修道者」の記念日であります。

そのような教会の動きの中で、今日の福音はわたくしたちに何を語っているでしょうか。

「七十二人の派遣の話」であります。

現代の東京、文京区にある本郷教会として「福音宣教特別月間」にあたってどういう心構えを持つべきか、何を実行すべきかをご一緒に考えて実行しなければならないのであります。

「『この家に平和があるように』と言いなさい。」(ルカ105)というイエスの言葉ですけれども、平和にはさまざまな段階の平和があります。

世界の平和、心の平和、自然との平和、核兵器の禁止、紛争の終結・・・。

いろいろな平和があります。

その中でわたくしが特に感じることは、人々の心の平和ということであります。

自分自身の存在に不安を持っている人がいます。

自分が存在していることの意味が分からない。

自分は受け入れられているのだろうか。

自分のしたことについて、赦しを受けたい。

誰に赦しを頼むのか、どうしたら良いのかも分からない。

そういう気持ちを持っている人がいます。

イエス・キリストの福音の中心は「赦し」ということではないかと思う。

「あなたは赦されているのですよ」ということを、どのように伝えたら良いでしょうか。

人は「こんな自分はとても赦されていない」と感じる場合があります。

そのような人々に「あなたの存在は大切だ」ということを、どういうふうに伝えたら良いだろうか。

他方、わたくしたちは集まって主イエス・キリストの復活をお祝いし、そこから歓びと力をいただいております。

今日の第一朗読の「ネヘミヤ記」では、律法書の朗読を長時間行ったことが記されています。

「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主に喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘ810

(ネヘミヤ記は旧約時代の集会を伝えていますが)こんにち、わたくしたちはイエス・キリストの復活の時代を過ごしておりますので、復活を祝うということがわたくしたちの歓びであり力の源であるということを、もっとはっきりと思うべきであります。

 

第一朗読  ネヘミヤ記 8:1-4a5-67b-12
(
その日、)民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立(った。)エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
レビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」
民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。

 

 

福音朗読  ルカによる福音書 10:1-12
(そのとき、)主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

 

 

 

 

 

 

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