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2019年10月10日 (木)

霊的生活

年間第二十七木曜日 ミサ説教

2019年10月10日(木)、本郷教会

 第一朗読  マラキ書 3:13-20a
福音朗読  ルカによる福音書 11:5-13
(そのとき、イエスは)弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも
、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 

説教

今日の福音の言葉もよく知られている教えであります。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(ルカ11:9)

求めること、探すこと、門をたたくことがなければ、与えられたり、見つけたり、開かれたりすることはないだろう。

何よりも求める心が大切である、と教えていると思います。

懸命に求めれば、与えられることがあるだろうと考えられる。

わたくしたちの日常体験によっても、そのことは納得できるのではないでしょうか。

 今日の福音朗読の最後の部分であります。

「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:13)

この言葉の前までは分かりやすいと思いますが、この最後の部分は前との繋がりがよく分からない感じを与えている。

「聖霊」が出てくるのであります。

おそらく、わたくしたちが求めるべき最も大切なこと、大切のもの、は聖霊であり、聖霊を求めなければならないという意味だと思います

わたくしたちはいろいろなこと、いろいろなものを必要とし、求めています。

自分の胸に手を当てて、何が必要だろうか何を求めているだろうかと考えた時に、どういう答えがあるだろうか。

この「聖霊」ということが、わたくしたちの心に浮かんでくるだろうか。

 わたくしたちは毎日「主の祈り」を唱えています。

昨日の福音は「主の祈り」についての教えでありました。

「主の祈り」に聖霊という言葉は出てきませんが、聖霊の恵みを求めているということと、繋がっているのではないだろうかと思います。

そして聖霊を求めるには、求める強い気持ちがなければならない。

あればその求めに応じて神様が与えてくださる、というよりも、もう与えてくださっているのであります。

与えてくださっていることに気がつき、そしてそれに応えることができるように祈らなければならないのではないかと思います。

聖霊がすでにわたくしたちの心に注がれていることを知り、その聖霊の働きに応えることが大切ではないだろうか。

 キリスト者の生活は、霊的生活と呼ばれます。霊的生活というのは、聖霊の導きに従う生活ということであります。

聖霊の導きに従うことを妨げるさまざまなことから解き放たれなければならないのであります。

 

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