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2019年12月17日 (火)

頑な心

待降節第二金曜日ミサ説教

20191213日、本郷教会

 

「打ち砕かれた心をいやすために遣わされた主よ、あわれみ給え」と開祭の祈りで唱えました。「打ち砕かれた心」とはダビデが罪を痛悔した時に神に祈ったことばであります。(詩編51でダビデは〈神よ、わたしのささげものは打ち砕かれた心。あなたは悔い改める心を見捨てられない〉と祈りました。教会の祈りの第二金曜日朝の祈りより)

人の心は頑なでなかなか神の言葉を聞き入れようとはしないのです。

旧約聖書は紀元6世紀のバビロン捕囚という、非常に悲惨で絶望的な状況の中で生まれ編纂されました。イスラエルの人々はそのような体験,言わば〈底突き体験〉をして、やっと彼らの目が開かれたと言えるのでしょう。バビロン捕囚から解放されて、エルサレムへ帰還することが許可されましたが、そのままバビロンに留まった人も多数おりました。出エジプトという旧約聖書の書はこのバビロン捕囚と帰還の話を下敷きにしているのだそうです。(昨夜の太田道子さんの話から。)

人間とは厄介な存在あり、自己のとらわれから解放されて自立することが難しいのだということを強調するために作られた物語である、というように解釈されます。人は神でない他の何かに囚われ、それに依存してしまうと、神の呼びかけに心を開かないのです。今日の福音も同じことを言っているのかもしれない。洗礼者ヨハネの呼びかけにも、人の子イエスの呼びかけにも人々は応えようとしなかったのであります。ヨハネについては、悪魔にとりつかれていると悪口を言い、イエスについては、大飯ぐらいで大酒飲み、徴税人や罪人の仲間だと、悪口を言ったのでありました。

わたしたちはどんな囚われを持っているでしょうか。今年の待降節はその点を良く反省したいと思います。

 

 

 

第一朗読  イザヤ書 48:17-19
イスラエルの聖なる神、あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神、わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。わたしの戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように恵みは海の波のようになる。あなたの子孫は砂のように、あなたから出る子らは砂の粒のように増え、その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもない。

 

 

福音朗読  マタイによる福音書 11:16-19
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』
ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

 

 

 

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