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2019年12月 9日 (月)

教皇への感謝と支援

イエスのカリタス会誓願式ミサ説教

2019年12月8日、カリタス会管区本部聖堂

 

皆様、本日12月8日は聖母マリアの無原罪の祭日であります。主日と重なりましたので典礼としては明日になりますが、今日はお二人のシスターの終生誓願式、並びに三人のシスターの初誓願式のためにマリア様のミサをお献げしております。

「わたしは主のはしため、お言葉通りになりますように」。おとめマリアは神様からの呼びかけにそのようにお答えになり、神への従順と信仰を表明なさいました。聖母マリアはわたしたち教会の模範であります。特に修道誓願を立てられる皆さんは聖母の信仰、そしてその生涯にならいこの社会の中ので地上の生涯を通し、神の国が既に来ていることを多くの人々に証しするという非常に尊い使命を受けています。

わたしたちは自分自身についても、またわたしたちの住んでいるこの社会についても「何かが間違っている、うまくいかない」という自覚と実感を持っております。全ての人、全ての社会は神がお望みになるような状態にはなっていないという事実について、教会は原罪という言葉で説明をしております。

日本に住んでいるわたしたちもこの原罪という状況の中で、神の恵みのもとに主イエス・キリストの生涯にならい、聖母をはじめとする諸聖人の模範を目の当たりにしながら、日々「それでも神様がわたしたちと共にいてくださり、復活した主イエスが世の終わりまでわたしたちと共にいてくださる」ということをさらに固く、その証しを行なっているのであります。

さて本日は教皇フランシスコが日本に来てくださったことを受けて、その感謝の言葉あらたにするとともに、教皇様がわたしたちへくださった戒めを分かち合いながら、日本の社会でキリスト者として生き、社会をより福音の精神に適った社会に帰るための決意を新たにしたいと思います。教皇様は非常にきついスケジュールの中で長崎・広島・東京で色々な機会に非常に心に響くお言葉をくださいました。わたしが個人的に受け取りましたことを感想として申し上げて、皆様の参考に供したいと思います。

教皇様は日本に来られて、唯一の被爆国日本において長崎と広島を訪問し、力強く核兵器の弊害を宣言なさいました。核兵器を使用することが許されるべきでないということだけではなく、保有することも倫理に反すると言ってくださったのです。さらに帰国される機中で原子力発電の問題にも触れられました。日本の司教団は「原子力発電は即時廃止するように」というアピールを行っております。

ところで国連では核兵器禁止条約というものが成立しております。それは核兵器を開発すること、実験・製造・備蓄移譲・使用及び威嚇としての使用を禁止、並びに排除することを目指す条約であり、全ての人類がこのことを強く望んでいるはずです。ところがその核兵器を保有している大国・強国はこの条約に賛成していません。アメリカ、イギリスなどの大国は核兵器を保有しているので賛成すればやめなければならないので、条約に賛成しない。日本はもちろん核兵器を持っていませんが、核の傘の下にあるということからでしょうが、条約を批准していません。原爆の被害を受け悲惨な体験をしている国は日本だけですね。ですから当然核兵器を持たず使用しないということは強く決意しており、それを世界中に呼びかけていますが、しかし他方核兵器を保有している国にも「それはやめてください」と言うべきであります。日本の司教団はそのようにお願いしましたが、政府としては板挟みなのでしょうが、はっきりしないという深刻な問題があります。

教皇様は就任以来もう7年になりますが、力強く教会の改革・刷新を叫んで来られました。わたしたちは社会の問題や人々の問題を指摘しますが、同時に自分自身を省みなければなりません。教会の中にある様々な課題・問題、あるいはあえて言えば腐敗や暴力について真摯に反省し、それをなくすような努力をしなければなりません。そのことを最も強く自覚し、呼びかけておられる方が教皇フランシスコであります。

ご自分のお膝元のバチカンにおいて起こっている様々な問題、財政や性暴力についても、あるいは権力闘争というような様々な問題について大変強く心を痛めておられ、それを解消し、刷新すべく努力しておられることに心から敬意を表します。そのためにわたしたちも祈りをもって必要な活動をしながら、刷新・改革が進捗しますよう、心からお祈り申し上げたいと思います。

教皇様は日本に来て日本の人々と会い、日本の社会を見てどう思われたでしょうか。かつてマザーテレサが日本に来られた時と同じような思いをお持ちになっただろうと感じました。日本は経済的に発展しており、その意味では豊かな国かもしれません。貧しい人はあまりいなかった、とは言っても今ではそうでもない状況にありますが、経済的・物質的な貧困よりも、精神的な貧困がわたしたちを支配しているのではないでしょうか。わたしたちは自分自身に閉じこもり、孤立し孤独を感じています。この社会は今競争と消費の精神で覆われており、その競争の中で落伍したものはもう生きていく張り合いが失われてしまう、弱められてしまう、そして何のために生きるのかということが分からなくなってしまいます。そういう状況の中で少なくない人々が、病気になったり自分の命を縮めたり、あるいは蒸発というか行方不明になってしまっているのも事実です。

自分自身が神様から望まれてこの世に生まれ、そして尊い命を受け自分にはなすべきことがあるという自覚を持つことができない人々は、人生の意味が分からなくなってしまいます。特に若い人々あるいは子供にまでそのような「病める魂」が蔓延しつつあり、非常に痛ましい状況であります。わたしたちは神様から頂いた恵みを周りの人々と分かち合い、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも分かち合い、そしてお互いに「あなたは大切な人である」ということを確認しながら生きて行かなければならないと思います。

隣の家に住んでいる人が亡くなっても何日も周りの人に気づかれない孤独死。かつてはあり得ないと思われたような悲しむべき現象がこの大都会の生活で起こっています。そういう状況で地の塩・世の光として洗礼を受け、そして更に神の国の到来を指し示すべき修道者は、日本の人々にイエス・キリストの復活の光、そして聖母マリアの従順と信仰の生き方を指し示して頂きたい。そのための恵みを今日ご一緒にお祈りいたしましょう。

 

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