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2019年12月17日 (火)

喜びの主日

待降節第3主日A年

2019年12月15日、待降節黙想会の日、本郷教会

 

第一朗読 イザヤの預言  イザヤ 35・1‐6a、10

第二朗読 使徒ヤコブの手紙 ヤコブ5・7-10

福音朗読 マタイによる福音 マタイ11・2-11

 

説教

今日、待降節第三主日は昔から『喜びの主日』と呼ばれています。

主イエスのご誕生を喜び迎える日を準備する日として、降誕祭の前に既に喜びを分かち合いましょう、そういう日であります。

 

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ

砂漠よ、喜び、花を咲かせよ

 

イザヤ書の言葉であります。イザヤの預言は紀元6世紀、イスラエル、ユダヤの民がバビロニアに強制連行された時の苦しい体験の中から生み出された預言書であります。彼らは、その、いわば絶望的と言われる状況の中で主なる神様への信仰を深め、さらに、メシア、王が到来されるという希望を生み、育てることができました。

 

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ

砂漠よ、喜び、花を咲かせよ

 

この言葉をきくと、これは紀元前6世紀、あるいはその前後のときの状況をいっているわけですけれども、そのまま今のわたしたちにも当てはまるのではないか。この東京というところ、今2019年ですが、まさに荒れ野であり、荒れ地であり、砂漠のようなところではないだろうか。物質的、経済的には豊かかもしれない。ま、かもしれないというのは、この豊かといわれていた日本にも貧困が忍び寄り、少なくない人が生きるのに事欠く状態に置かれているのであります。さらに、精神的に非常に貧困な状態におかれている人が少なくはない。生き甲斐を失い、生きる喜びがなく、ある人々は行方不明になったり、ある人は自死を考えたりしている。そういう状況の中で、まさにわたしたちは、荒れ野であり、荒れ地であり、砂漠である現代の東京、首都圏において、わたしたちの信仰、主イエス・キリストと出会う喜びを人々に伝えていかなければならないし、証ししなければならないのであります。

 

先週、そして今週の主日の福音の重要な登場人物は洗礼者ヨハネであります。洗礼者ヨハネは、荒れ野で叫ぶ声であると、いわれています。そのヨハネのスタイルというのがすごいですね。らくだの毛衣を着、革の帯を締め、野蜜といなごを食物としていた。とてもこんな生活はできませんけれども。

他方、ナザレのイエスは人々と交わる生活をしておりました。時には楽しく食べたり飲んだりしていたようであります。ヨハネとイエスを対照すると、比べてみると、新しい時代の到来を感じることができるのではないだろうか。もちろん、この二人はお互いに尊敬し、認め合っていました。しかし、洗礼者ヨハネのほうは獄に捕えられているあいだにふと不安と疑惑を感じたのでしょうか。人を遣わしてイエスに尋ねさせた。「来(きた)るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの人を待つべきでしょうか。」その使者に対してお答えになったのが、今日の福音であります。この福音をふまえて集会祈願、ミサの集会祈願は非常に工夫して作られているのでありまして、今日の言葉をもう一度見てください。

 

「今こそわたしたちの目を開き、やみに輝く光に気づかせてください。わたしたちの耳を開き、あなたの呼びかけに従う者としてください。」と祈りました。

 

目を開き、耳を開かないと、聞くべき声が聞こえないし、見るべきものが見えない。

今日、黙想会で、普段こころが忙しいので、音として聞こえていても、声として聞こえていないかもしれない。目にしているけれども、こころの中に入ってきていないかもしれない。

 

今日、皆様。少し時間を神様に献げてください。

ほかのことはやめて、ただ無駄と思われる時間を主イエス・キリストの声に耳を傾け、そして皆様のこころの目に映ることをみつめるようにしていただきたいと思います。 

 

――

第一朗読  イザヤ書 35:1-6a、10
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
弱った手に力を込めよろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」
そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。主に贖われた人々は帰ってくる。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。

第二朗読  ヤコブの手紙 5:7-10
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。

福音朗読  マタイによる福音書 11:2-11
(そのとき、)ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」

 

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