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2019年12月31日 (火)

今年最後のミサの福音の「言は肉となった」

主の降誕第七日 ミサ説教

20191231()、本郷教会

 

今日、2019年最後の日の福音朗読は、「ヨハネによる福音」の冒頭の部分であります。

主の降誕日中のミサの福音朗読と同じ箇所です。

「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハ1:14

わたくしたちが唱える「お告げの祈り」の中に採られている言葉です。

「肉となった」という時の肉は、ギリシア語でサルクスΣαρξと言いますが、わたくしたち人間が持っている肉体と同じ肉体となったという意味であります。

神は目に見えない方ですが、その神がわたくしたちと同じ肉体を持った存在になってくださったというわたくしたちの信仰を、この言葉が端的に表現しています。

この肉体という言葉は、同時にわたくしたち人間がやがて滅び去るものであり、感覚と欲望の主体であるということも意味しています。

わたくしたちの肉体はいずれ滅びる日がきますが、神の子となったわたくしたちは、いつでもどこにおいても神と共に生きる存在であるとされました。

昨日の朗読を思い起こしていただきたい。

「ヨハネの手紙」であります。

「世も世にあるものも、愛してはいけません。」(一ヨハ2:15

「すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。」(一ヨハ2:16)という言葉がありました。

この中に「肉の欲」という言葉あります。

この時の「肉」という言葉と、今日の福音の「肉」は同じサルクスという言葉で表されており、矛盾しているように感じるかもしれない。

サルクス(肉)という言葉自体に否定的な意味は本来ありません。

神の御ひとり子がわたくしたちと同じ肉体となってくださったことによって、わたくしたちの肉体は価値あるものとされました。

ただし、今日の福音が言っておりますように、「世は言を受け入れなかった」のであります。

神の呼びかけであり神の現れである御言葉を受け入れないこの世は、神との関りにおいて大きな亀裂を生じている世であります。

この世にいる人は、神のめぐみによらずに神のめぐみから離れた状態にある場合、自分の肉体の欲望を制御することが出来なくなっている。

そのことを表していると思う。

「肉の欲、目の欲、生活のおごり」という言葉は、神の支配から離れているこの世界の現状を意味していると思います。

使徒パウロは「ガラテアの手紙」(ガラ5)で、肉の業(わざ)ではなく霊の導きによって歩みなさいと言っております。

「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」の霊の実りがあるように、霊的な生活をするようにしなさいと勧告しています。

わたくしたちの新しい年が霊の導きに従う一年となりますよう、聖霊のたすけを祈りましょう。

第一朗読  ヨハネの手紙 一 2:18-21
子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。

福音朗読  ヨハネによる福音書 1:1-1:18
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

 

 

 

 

 

 

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