無料ブログはココログ

« 聖家族のヨセフ | トップページ | 世も世にあるものも愛してはいけません »

2019年12月30日 (月)

使徒ヨハネ

聖ヨハネ使徒福音記者 祝日ミサ説教

2019年12月27日(金)、本郷教会

 

使徒ヨハネは「ヨハネの福音」の著者と言われてきました。

最近の学者の研究によると、ヨハネの弟子たちの集団が書いたもので、ヨハネの名前を使って残したものではないかと言われています。

わたくしたちにとっては、どちらでも大した問題ではない。

 

今読んだ福音によると、「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」が登場しますが、このもう一人の弟子がヨハネのことであると伝統的に言われてきました。

ペトロと二人で墓に行きましたが、ペトロよりも先に墓に着いた。

どうしてでしょうね。

彼の方が若くて元気だったからかな。

しかし、ペトロに遠慮したからなのでしょうか、中には入らなかった。

ペトロが先に中に入って、その後この愛する弟子も中に入り、墓がからであることを確認したという証言であります。

ヨハネ使徒が非常に重要な役割を果たしたことに疑いはない。

 

第一朗読は「使徒ヨハネの手紙」でありました。

ヨハネの手紙、あるいはヨハネの福音に頻繫に出てくる重要な言葉があります。

「永遠の命」、「愛」、「栄光」などの言葉であります。

わたくしたちは聞き慣れ、読み慣れているので、この言葉の意味をあまり深く考えないようになっていますが、じっくり考え学ぶべき言葉でありましょう。

 

昨夜の勉強会を思い出していただきたいのですが、「栄光」という言葉は日本語では誤解されるのではないかというような話でしたね。

「栄光」のヘブライ語はカーボードゥと言いますが、第一の意味は「重さ」であり、それを由来として「重要さ」や「力あるもの」「価値あるもの」を表現するようになっていった。

わたくしたちが「栄光」という言葉から受けるのは、「輝かしい」「晴れやかな」というような印象でありますが、それは結果がそうであっても、もともとは「重いもの」という意味だそうです。

 

ヨハネの福音によると、イエスは受難に向かう前に「人の子が栄光を受ける時がきた。」(ヨハ12:23)と言っています。

わたくしたちは復活した時が栄光の時だと思っていますが、十字架にかけられることが栄光の頂点であるというようにも読める。

いろいろなことから、わたくしたちは「神とは何か」、「イエスはどんな人か」ということについて誤解している面もあるのではないだろうか。

「全能の神」という言葉についても、問題を感じていますね。

「全能」と訳してしまうと誤解するのではないかという気がしております。

 

ともかく今日はヨハネ使徒の日であって、ヨハネの福音もしっかり勉強しなければならないと痛感しています。

« 聖家族のヨセフ | トップページ | 世も世にあるものも愛してはいけません »

ミサ説教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 聖家族のヨセフ | トップページ | 世も世にあるものも愛してはいけません »