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2020年1月 8日 (水)

愛には恐れがない

降誕節水曜日(主の公現後)

202018()、本郷教会

弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見て幽霊だと思い、恐怖に駆られて叫びました。

イエスは弟子たちに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。

「恐れることはない」という言葉をイエスはいろいろな場面で言われています。

今年の11日元旦「世界平和の日」の教皇フランシスコのメッセージの中に、恐怖が平和を脅かすということが述べられています。

人間の心の中を平和ではなく恐怖が支配すると、自分を守ろうとして相手を恐れたり、攻撃したりすることになるのではないだろうかという意味であったと思います。

今日の第一朗読は、昨日に引き続き「神は愛である」と述べています。

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。

なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」

この言葉を今日は特にゆっくり深く味わってみたい。

わたくしたちはいろいろなことで怖れを覚えています。

何かを失うという恐れ、何かをすることができなくなるという恐れ、さまざまな恐れがある。

恐れるのは愛が足りないからでしょうか。

幼子は母の手に抱かれて恐れということを知らないのでありますが、わたくしたち大人になると、いろいろな時に不安そして恐れを感じます。

神は愛である、そして神がいつもいてくださる、神がわたくしたちを守ってくださる、そして御自分の下に引き寄せてくださる、という信仰を持つ限り恐れは生じないはずですが、なかなかそうはいかない現実があります。

神をどのようなかたとして受け取っているのだろうか

神の怒り、そして罰、ということが確かに聖書には出てきますが、他方、神は赦すかたである、神は慈しみ深いかたであるということが強調されています。

「神のいつくしみの特別聖年」が教皇フランシスコによって行われ、宣言されたことをあらためて思い起こしましょう。

 

第一朗読  ヨハネの手紙 一 4:7-10
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

福音朗読  マルコによる福音書 6:34-44
(
そのとき、イエスは)大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。

 

 

 

 

 

 

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