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2020年1月26日 (日)

パウロの回心

宣教・福音化のためのミサ(パウロの回心)説教

2020125()、本郷教会

 

今日125日は聖パウロの回心を記念する日となっています。

聖パウロは、聖ペトロと並ぶ教会の二本の柱とでも言うべき重要な人物であります。

パウロは異邦人の使徒と呼ばれ、ユダヤ人ではない人びとにイエスの福音を宣べ伝えた人であります。

およそ紀元5年から10年頃と推定されますが、タルソスという繁栄していた都市で生まれました。

イエスよりも十歳くらい若いということになります。

ガマリエルという律法学者のもとで熱心に勉強した、いわば筋金入りのファリサイ派のユダヤ教徒でありました。

「サウロ」「サウル」はユダヤ名(ヘブライ語)であります。

彼は手に職を持っており、テントを造る「テント職人」と呼ばれています。(使18:3

第一朗読では、そのパウロがサウロと呼ばれていた時に、復活したイエスに出会って回心した次第を述べています。

使徒言行録には実に三回もパウロの回心の物語が出てきます。

(使9:1-2222:3-1626:12-18

内容はほぼ同じですが、三回も出てくるのは、それだけ重要な出来事だったからでありましょう。

その回心の出来事は紀元36年頃と推定されています。

イエスが十字架につけられた年が紀元30年と言われているので、その6年後のことです。

6年しか経っていなかった時期にパウロは回心して、熱烈なイエス・キリストの使徒になりました。

一体なにが起こったのでしょうか。

第一朗読ではその時の様子を告げています。

サウロという名前のパウロがダマスコへ向かう途中、天から光が差して来て、その光はあまりに眩しかったのでしょう、彼は地に倒れた。

そして「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

この声は、「同行していた人たちには、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えずに立っていた」

声は聞こえたということは、呼びかけている内容は分かったのでしょうか。

それともただ声がしたということだけなのか、そこは分からないですね。

そしてサウロが、「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあって、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」

サウルはイエスを迫害するつもりはなかったと思う。

イエスに従う人たちを迫害していた。

イエスの弟子たちを迫害することは、そのままイエスを迫害することになるという意味だと思われます。

「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」

このサウロを助ける人が、アナニアという人であります。

わたくしたちは自分だけでイエスの恵みを受けることが出来ない、難しい。

サウロもこのアナニアという人の手引き助けがあって、目が見えるようになり、立ち上がることができました。

アナニアはサウロがどんな人であるのかをすでに聞いていたので、そのサウロのために何かするように言われても納得できなかったのであります。

その時の主の言葉が非常に印象深い。

「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」

サウロの方は志願するどころかむしろ正反対で、その気がないどころかキリスト教徒を根絶やしにするために働いていたわけですが、その人をイエスは選んで自分の使徒とされたわけであります。

イエスは十二人を選んで、十二使徒とされましたが、その使徒の中にはのちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダも入っていました。

これも分かり難いことですが、今度はキリスト教徒を猛烈に迫害しているその当人を選んで、自分の手足となる者に変身させた。

「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」

実際、サウロ(のちのパウロ)はたいへんな苦しみを体験しながら、イエス・キリストの福音を宣べ伝えたのであります。

コリント書(2コリ11:24-29)には、自分の被った数々の苦難が列挙されております。

それを読むと、このパウロという人は非常に身体が頑健だったようで、とても並みの人間では耐えられそうにないような、非常に危険な旅行を幾度も体験したのであります。

何度も舟が難破して漂流したり、むち打ちの刑を受けたり、石を投げられたりと散々な目に遭っているわけですが、それでも彼はひるまずに最後までイエスの道を走り抜いたわけです。

さて、アナニアはサウロの上に手を置きました。

この「手を置く」という行為は、聖霊が降ることを意味しています。

こんにちでもミサの時に司教、司祭は手を差し伸べて、聖霊が降るようにと祈ります。

叙階式の時も、司教が司祭志願者の頭の上に手を置いて祈る、そして決められた祈りの言葉を唱えると、その瞬間その人は司祭に叙階されるのであります。

サウロをパウロにしたのは神の霊、聖霊です。

「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れて下さった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」とアナニアが言います。

「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」

『目からうろこ』という言い方は、普段から日本人が使うような言葉になっておりますが、起源はここにあります。

そのあとサウロは元気になって、すぐにイエス・キリストを神の子救い主と述べ始めた。

昨日まで迫害していた者が、今度は迫害される側に向かって、イエスこそ救い主と言ったものですから人びとは驚いた。

なかなか彼の言うことを信じようとはしなかった。

無理もないことですね。

それでもめげずにサウロは自分の務めを果たしたわけであります。

彼はしばしば、自分は神から選ばれイエス・キリストによって派遣されたキリストの使徒であると主張しています。

ペトロを始めとする十二使徒は、イエスと一緒にほぼ三年間生活を共にし、イエスから直接任命され、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」という命令を受けている者です。

しかし、パウロは生前のイエスに出会ってはいない。

復活したイエスが現れたと言っても誰が信じるだろうか。

同行の人はどういう風にこの事件を受け取ったのでしょうか。

天からの声というのが、同行の人に分かるような言葉であったのか。

それらは不明であります。

パウロは自分がイエスから召し出しを受けて、イエスの福音を宣べ伝えるように命令された者であるということを、繰り返し繰り返し主張しなければならなかったのであります。

さて、2008年にベネディクト16世教皇は「聖パウロ年」を定め、パウロについて勉強するようにという指示を出されたのであります。

その折にも、わたくしたちはパウロについて勉強したわけであります。

パウロは新約聖書に沢山の手紙を残しています。

パウロ自身は自分の書いた手紙が聖書になると思って書いたわけではなく、日々の宣教活動の中で必要に迫られて書いた手紙であります。

おそらく自分で直接書いた手紙ではなくて、口述筆記によって記され、最後に本人が署名したものが回覧されて、それが何年か経って新約聖書の正典となったと思われます。

パウロの教えの中心は、「人は律法を守ることによって正しい者、救われる者になることはできない。イエス・キリストを信じることによってのみ、救いに与るのである。」という点につきるのであります。

このパウロによってイエス・キリストの宗教は、ユダヤ教からキリスト教として独立したといえるのでないでしょうか。

ーー

第一朗読  使徒言行録 22:3-16
(その日、パウロは人々に言った。)「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」
「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。
ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」

福音朗読  マルコによる福音書 16:15-18
(そのとき、イエスは11人の弟子に現れて、)言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

祈りのヒント

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コメント

パウロの回心 という言葉はきいていましたが、パウロがどのように回心して、それがどんな重要なことであったのかを、初めて学ぶことができました。

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