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2020年1月31日 (金)

日本という土壌

聖ヨハネ・ボスコ司祭記念日 ミサ説教

2020年1月31日(金)、本郷教会

 

イエスは神の国の福音をたとえ話で説明されました。

今日の福音を見ますと二つのたとえが告げられています。

「神の国は土に種を撒いて、その種が芽を出して成長するようなものである。」

これを読むと先日(1月29日)の福音を思い出します。

神の国の福音は、聞く人の状態能力によってその効果が変わってきます。

受け取る人の心が良い土地であれば、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶという話でした。

今日の話は少し趣きが違う。

土に種が撒かれると、種は芽を出して成長します。

土には力がすでに宿っている、存在している。

種を受け取って発芽させ、成長させ、結実させるように働きかける力が、土壌の中には存在しているのだと言っているように思います。

 

わたくしは長年日本の福音宣教ということを考えてきました。

日本という土壌はどういう土壌なのだろうか。

聖フランシスコザビエルは、日本に福音をもたらした時に、日本人は非常にレベルの高い国民であることに驚いたそうであります。

教育もよく普及しているし、人びとの道徳も立派である、納得できない点もない訳ではないが、ということを本国に報告したと聞いています。

日本という土壌は、神の国の福音を受け取って、それを発芽させ成長させる良いものがすでに存在していると思います。

それは日本に住んでいるわたくしたち自身のことであり、わたくしたちの心を指していると思う。

今日の第一朗読は有名なダビデ王の重大な罪の話ですが、あの理想的な王であるダビデも大きな罪を犯している。

しかし、人間は本来良いもの、神の似姿として造られています。

機会があれば芽を出し実を結ぶことのできる可能性を秘めている、与えられている。

「からし種のたとえ」も告げられています。

どんなに小さな種であっても、成長して空の鳥が宿るほどの大きな木に成長する。

 

話が前後しますがわたくしたちの本郷教会にとって、次の日曜日は大切な日であります。

信徒総会の日です。

小さな存在である本郷教会ですが、空の鳥が巣を造るほどの大きな枝に成長する可能性を持っている。

そうなることができるのだ、そういう恵みはすでに与えられているのだ、ということを自覚して、心を神の招きに開くようにしたいと思います。

第一朗読  サムエル記 下 11:1-4a:4c-10a13-17
年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。
ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」
ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」
ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。

福音朗読  マルコによる福音書 4:26-34
(
そのとき、イエスは人々に言われた。)「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

 

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