無料ブログはココログ

« 彼は何かも捨てて立ち上がりイエスに従った。 | トップページ | 人生の総決算の基準 »

2020年2月29日 (土)

イエス、誘惑に打ち克つ

四旬節第一主日A年のミサ説教

 2020年3月1日、本郷教会

 

四旬節第一主日の今年の福音朗読はマタイの福音の4章であります。

イエスは聖霊に満たされ、霊によって荒れ野に導かれ、40日間にわたり悪魔の誘惑を受けられました。

この物語から四旬節という典礼の季節が生まれました。

ところでこの四旬節の起源とされるの物語のなかに、悪霊と悪霊の両方が出て来るのはどういうことだろうか、ということです。イエスは荒れ野で悪魔から三つの誘惑を受けましたが、すべての誘惑に打ち克たれました。

これは確かにイエスの物語です。しかし、実はむしろ、わたしたちひとり一人の受ける誘惑について、わたしたちに向けて語られている物語ではないでしょうか。

わたしたちは信仰の恵みを受け、聖霊の賜物を受けています。しかし依然として同時に悪霊の誘惑にさらされている者でもあります。わたしたちもイエスに倣い、聖霊の助けによって悪魔の誘惑に打ち克つように、と今日の福音は励ましています。

 イエスは三つの誘惑を受けました。

一つ目の誘惑は、「石をパンにかえるように」という誘惑でした。それは、自分が持っている力を地上での自分の成功―-事業の成功、資産の活用という現世での成功のために用いたらどうか、という誘惑であります。イエスは「人はパンだけで生きるものではない」と答えてこの誘惑を退けました。

二つ目の誘惑は「神である主を試す」という誘惑です。

「神である主を試す」とはどういうことでしょうか。それは本当に主がともにいてくださり、守ってくださるだろうか、疑いを抱いて、不信仰に陥る、ということです。かつてイスラエルの民はモーセに率いられて、荒れ野でさまよい、水も食べ物もない状態に耐えかねて「果たして、主は我々の間におられるだろうか」と言って、モーセと争い、主を試みるに至ったのでした。(出エジプト17・1-7参照)

主がモーセを遣わして民を救おうとしていること、神は力ある神、いつくしみ深い神であることを疑ったのです。その結果イエスらエルは安息に入るためには40年間の償いのときを課せられるにいたったのでした。

悪魔は詩篇の言葉(本日の答唱詩編)を使ってイエスを誘惑しました。

「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」

イエスは同じく申命記の言葉、「あなたの神である主を試してはならない」をもって悪魔の誘惑を退けました。

イエスは昇天に際して、「わたしは世の終わりまであなた方とともにいる」と言われました。もし、現代を生きるわたしたちが、「主はどこにいるのか」という思いを抱き、主が守ってくれるかどうか試すための試みをするならば、それはまさにイスラエルの民が荒れ野で侵した「あなたの神たる主を試みる」という不信仰に他ならないことになってしまいます。主を信じ、信頼しているなら試みるはずではないからです。

「主の祈り」の「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお守りください」という言葉は不信仰への誘惑からわたしたちを守ってください、という思いが込められた祈りでもあります。不信仰への誘惑は悪の霊から来るのであり、またわたしたちの欲望から生まれるのです。

三の誘惑とは、地上の権力と繁栄を自分のものとしたらどうか、という誘惑でした。それは、人を支配し、人を思うように動かし、栄誉と名声を自分のものにしたい、という欲望への誘惑です。この誘惑に対してイエスは、

「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」という申命記の言葉をもって、断固、悪魔の誘惑を退けたのです。

わたしたちは日々主の祈りを唱え、「自分の思いではなく神の思いが行われますように」と祈っています。しかし、誰かが自分の思いに反することを言ったらしたら、不快になり、怒りを覚えたり、失望したり、落ち込んだりすることが少なくはありません。自己の権力、名声、評判への欲望は実に根強いものです。「栄光は父と子と聖霊に」と唱えながら実は「自分の栄光」を求めている部分が心の中に在ることを認めなければならないと思います。その欲望に悪魔は付け込んできます。

「ベネディクト十六教皇は就任式のミサで「現代の荒れ野」ということを言われました。首都圏に生きるわたしたちはまさに「現代の荒れ野」のなかで生活しています。それは、快適で便利な生活かもしれませんが、精神的・霊的には生きづらい環境ではないでしょうか。寂しく空しく、悲しい思いを抱えている人の少なくはありません。そこに悪魔の誘惑が忍び込んできます。

そのような状況にあってわたしたちの本郷教会は東京における「現代の荒れ野のオアシであり心の泉でありたい」と願っています。

第二朗読でローマ書は、言っています。

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。」

ただ一人の人イエス・キリストによってすべての人の及ぶという罪の連鎖は断ち切られました。わたしたちは、今生きてわたしたちと共にいてくださる復活したイエス・キリストのおかげで悪の力と戦い勝利することが出来ます。四旬節はまさに闘いの時、キリストの勝利という復活に与る準備の時であります。

 生きて共にいていくださるキリスト。キリストから悪との戦いに打ち勝つ恵みを日々いただいていることに感謝し、決意を新たにいたしましょう。

 ――

第一朗読  創世記 2:7-9、3:1-7
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

 第二朗読  ローマの信徒への手紙 5:12-19
(皆さん、)一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。《律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。》
一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

 福音朗読  マタイによる福音書 4:1-11
(そのとき、)イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエス
に仕えた。

 

« 彼は何かも捨てて立ち上がりイエスに従った。 | トップページ | 人生の総決算の基準 »

コメント

特別な四旬節となりました。日頃、忙しいことを理由に雑な生活を送っておりましたが、ことごとくキャンセルとなり、時間が与えられました。

お説教の中の、
「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお守りください」という言葉は不信仰への誘惑からわたしたちを守ってください、という思いが込められた祈りでもあります。

この部分がこころにすっと入りました。主の祈りをとなえるときの助けとなります。
ありがとうございました。

創世記から始まり、申命記、ローマ書、マタイの福音書をもとに、わかりやすくお話しいただいたので、イエスがどのように悪霊に打ち勝ったかを知ることができました。今の私たちは、キリストから悪に打ち勝つ恵みをいただくことに感謝して決意を新たにする。悪の霊からくる不信仰への誘惑に負けない。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 彼は何かも捨てて立ち上がりイエスに従った。 | トップページ | 人生の総決算の基準 »