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2020年2月20日 (木)

勘違い、思い違いはないか?

年間第6木曜部ミサの福音朗読について

人には神の思いははるかに超えている》

2020年2月20日

 

イエスが弟子たちに、

「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と訊ねるとペトロが答えました。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。

マタイ福音書では、イエスは

「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイ16・16-19)

と言われました。ペトロを称賛しさらに重要な任務を授けているのです。それにもかかわらず、ペトロがイエスを脇へお連れしてお諫めするとイエスは

ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

この落差をどう受け取ったらいいのでしょうか。最高に褒めておいてサタン呼ばわりをするとはどういうことでしょうか。それは、確かに人間には神の思いが分かりませんよ。だからと言ってもう少し言いようがあるのではないか、とも思いませんか・

わたしたちは主の祈りで

「み旨が行われますように」

と日々祈っています。自分がどうすることがみ旨を行うことに適うのか、真剣に願い求めているのではないでしょうか。問題は具体的に何が神のみ旨であるのか、すぐには明白にはならない、ということです。さらに明白の成っても、それを実行する力があるだろうか、という不安があります。

神の思いは人の思いをはるかに超えています。実にイザヤ書が言っています。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。(イザヤ55・8-9)

 

人と人との思いのすれ違いとか勘違いとかよく起こります。まして人と神の間では思いが通じるということは難しんではないだろうか。人が勝手に自分の思いを神の思いと信じる場合もあります。

 

 

  マルコによる福音書 8:27-8:33
(そのとき、)イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

 

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コメント

神の思いはわたしたちの思いと異なる。何が神のみ旨なのか。それが明らかになったとしても それを実行する力が自分にあるのか。 このお説教は何度拝読しても、考えることが尽きないように思います。 イエスが弟子にこんな風に語ったのだなあ、ともわかり、嬉しく思います。

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