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2020年2月 9日 (日)

偽善者の屁理屈

病者のためのミサ(ルルドの聖母)説教

2020年2月8日(土)、本郷教会

 

第一朗読は、「列王記」。

ソロモン王が神殿を建設し、神に奉献した時の祈りを伝えています。

たいへん敬虔な立派な祈りであります。

ソロモンは「ソロモンの知恵」と謳われ、また「ソロモンの栄華」とも言われて、非常に繁栄した王であります。

知恵と富において、地上のいかなる王にも勝っていたと伝えられています。

しかし、晩年、彼は驕り高ぶったからでしょうか、主の目に悪とされることを数々行いました。

近隣の国から外国人の妻を迎え、その妻の宗教を礼拝し、国民を圧迫する悪政を強いて

堕落した状態に陥りました。

神は再三ソロモンに警告しましたが、聞き入れなかった。

父ダビデに免じてソロモンの生存中は処罰することを控えたが、ソロモンの死後、王国は分裂することになると神は言われたのであります。

その次第が列王記に出ています。

知恵において、だれにも負けないくらいの神のめぐみに満ちていた人が、どうしてそのようなひどい状態に落ちてしまったのでしょうか。

つくづく考えさせられる歴史上のエピソードであります。

 

福音についてであります。

イエスはたびたびフェリサイ派の人びとや律法学者と対立してきました。

今日の争点、両者の争いの中心にあるのは、彼らの偽善という問題であります。

「彼らは口先では神を敬っているが、心の中は神から遠く離れている。」

「人間の戒めを守って、かえって神の掟をないがしろにしているではないか。」

その例が、「父と母を敬え」という掟であります。

モーセの十戒の「父と母を敬え」、そして、「父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである」という重要な掟であります。

彼らは巧みにこの掟を骨抜きにし、形式上守っているようにしながら、「父母を敬う」という律法の精神を無にしていたのであります。

 

『もしだれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。

この理論というか、説明は分かり難いかもしれません。

コルバンというのはアラム語で神への供え物という意味です。

これから先の理屈が非常に独自なものです。

子どもが親に為すべき、尽くすべき親孝行、親を扶養して親の世話をするといった親に対する当然為すべきことを、神さまへの供え物としてしまえば、もう神さまのものですから取り戻せない。

何か分かったような、分からないような理論です。

全然分からないのだけれども、そういう理論が通用している。

神さまのものになったのですから、わたくしの方では手の付けようがない、それで親にしてあげられるものは何も残っていない、みな神様のものになってしまったのだから・・・。

そういう説明ですが、分かりますか?

何とでも理屈はつけられるわけであります。

 

イエスは。ファリサイ派、律法学者の人たちに怒っているわけです。それは、頭のよいファリサイ派、律法学者たちは理屈をこねまわし、本来神が望んでいることを無視しあるいは骨抜きにして、神の掟をないがしろにしながら、自分たちか敬虔に律法をも持っている者だとの態度をとっていた他なりません。

 

 

 

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偽善とそれを隠すための言い逃れや巧妙な屁理屈。現代の社会の現実につながります。
自分自身とも。

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