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2020年2月25日 (火)

欲望への囚われ

2月25日 年間第7火曜日のミサから 

ヤコブの手紙。連続朗読。願い求めても与えられないのは何故か。それは動機が間違っているから。自分お楽しみのために使おうと願っても神は聞き届けない。

わたしたちの祈りの動機は大丈夫か?

マルコの福音。

エルサレムに向かうイエスの一行。イエスは弟子たちに「自分が殺されるが三日目に復活する」と予言する。しかし弟子たちは理解しない。それどころか、「自分たちの中で誰が一番偉いか」という議論していた。イエスが【途中で何を議論していたのか】とお尋ねになった。彼らは黙っていた。」

さすがに弟子たちは後ろめたく感じていたのである。彼らの心は自分の欲望、名誉と権力への思いに囚われていた・

「そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。『わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。』

子どものように素直に、無欲に、先入観なしに、イエスを受け入れなければ神の国には入れない、とイエスは言われたと思う。

 

 

第一朗読  ヤコブの手紙 4:1-10
(愛する皆さん、)何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。
「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。

福音朗読  マルコによる福音書 9:30-37
(そのとき、イエスと弟子たちは)ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

祈りのヒント

 

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コメント

冒頭の部分の、祈りの動機は大丈夫か、は強烈です。 軽い会話で 「動機が不純だから…」 とか、「そんな動機で?」、とかよく口にしていますが、ここで説かれているのは 無欲に先入観なしに、こどものように素直にイエスを受け入れなければ神の国に入れないということ。 ヤコブの手紙もマルコの福音書も優しい語り口だと感じました。

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