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2020年2月 8日 (土)

善と悪の間を揺れ動くヘロデの心

年間第四金曜日 ミサ説教

20202月7日()、本郷教会

 

洗礼者ヨハネが首をはねられるという物語が今日の福音であります。

今日の「マルコによる福音」を読んで感じましたことを一言申し上げたい。

ヘロデという王は、どんな人であったのでしょうか。

彼は洗礼者ヨハネに対して、必ずしも悪い気持ちだけを持っていたのではなかった。

「ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」

とあります。

他方、ヘロデの妻ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうとさえ思っていた。

ヘロディアという人は、ヘロデ王の異母兄弟の妻であったが、ヘロデが奪い取って結婚したということになっている。

そして、このヘロディアにはすでにサロメという娘がいて、この娘はヘロデにとっては義理の姪であり、また姪の娘であるという、系図を見ても分かり難い非常に複雑な人間関係が入り組んでいるのであります。

ヘロデは自分の誕生日の祝宴で、言わなくてもいいことを言ってしまった。

「欲しいものがあれば、何でも言いなさい。お前にやろう」

「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」

その結果、ヨハネの首をはねなければならなくなりました。

「王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。」

この記述から、ヘロデはヨハネの首をはねることを本当は望んでいなかったが、見栄もあり、多くの人の前で言ってしまった手前、やむを得ず衛兵に首をはねさせたということが分かります。

ここにヘロデという人の悲劇があるように感じる。

人間というのは、心の中が複雑で、良いことを願いながらそれを必ずしも実行できない。

しかし悪いことだけに徹するという人もあまりいない。

両方の間、善と悪の間で揺れ動きながら、心が責め苛まれているのであります。

彼は洗礼者ヨハネを処刑した後も、そのことが気になって仕方がなかったように思われます。

ヘロデ王、そしてヘロディアという人は、特別な心の状態にあったのかもしれませんが、わたくしたちとて場合によれば、このヘロデ王あるいはヘロディアのような心に振り回されないとも限らないのではないでしょうか。

 

第一朗読  シラ書 47:2-11
和解の献げ物から脂肪が取り分けられるように、ダビデもイスラエルの子らから選び分けられた。彼は子山羊と戯れるように、獅子と戯れ、小羊と戯れるように、熊と戯れた。彼は若いとき、巨人を打ち倒して民の恥を取り除き、石投げを持った手を上げて、ゴリアトの高慢を粉砕したのではなかったか。彼はいと高き主に祈り求めて、その右手に力を与えられ、あの力ある戦士を倒し、自分の民の勢力を高めることができたのだ。こうして、数万の敵を倒したと言って人々は彼を称賛し、主を賛美しつつ彼をほめたたえ、栄光の冠を彼に与えた。彼は取り囲む敵を打ち滅ぼし、刃向かうペリシテ人を完膚なきまでに倒した。彼らの勢力は今日まで衰えたままである。彼はいかなる業をなしたときも、聖なるいと高き方を栄えある言葉で称賛し、心を尽くして賛美の歌をうたい、自分の創造主を愛した。彼は祭壇の前に歌い手たちを立たせ、美しい声で歌をうたわせた。こうして彼らは毎日賛美の歌をうたうことになった。彼は祭りを荘厳なものにし、祭りの手順を完璧に整え、人々に主の聖なる御名をたたえさせて、暁とともに美しい声を聖所に響かせた。主は彼のもろもろの罪を赦し、その勢力を永遠に続くものとして高め、彼に王国の契約とイスラエルにおける栄光の座を与えられた。

福音朗読  マルコによる福音書 6:14-29
(そのとき、)イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。

 

 

 

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コメント

あの、盆にのせられたヨハネの首、の恐ろしい絵画には、このような複雑な話があり、ヘロデ王の揺れる心は私たちにも通じることに気づかせていただきました。一方ダビデの方は自信にあふれ、神への強い信頼は揺るがない。

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