不寛容の過ち
四旬節第一土曜日、2020年の福音から3月7日の福音朗読から
「敵を愛しなさい。」
聖ヨハネ・パウロ二世の「紀元二千年の到来」(使徒的書簡)の次のくだりを想起せざるを得ない。
「―――痛ましい歴史上の一章は、何世紀にもわたって、真理への奉仕に際しての不寛容、さらに暴力の行使を黙認したことです。」(35番)
異端審問、ユダヤ人迫害、十字軍などを指しているのだろうか?
「真理は、優しく、そして強く心にしみ込む真理そのものの力によらなければ義務を負わせない」(同35で引用の『信教の自由に関する教令』の教え)
福音朗読 マタイによる福音書 5:43-48
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
« 腹を立てるな、と言われても | トップページ | キリストに聞く »
「本郷から」カテゴリの記事
- マグダラのマリアは使徒たちの使徒(2020.04.13)
- 福音化の使命(2020.04.12)
- 救いの歴史(2020.04.11)
- 最初のミサ(2020.04.09)
- 主の晩餐の夕べのミサ(2020.04.08)
歴史上の痛ましい出来事とキリスト教の教えとの関りについて学ぶことができました。私たちは不寛容であってはならない。敵を愛しなければならない。マタイによる福音書には具体的に記されていて強い印象を受けました。「真理への奉仕は、優しく強く心に沁みこむ真理そのものの力によらなければ義務を負わせない」、は大切なメッセ―ジだと思いますが、正しく理解できているか不安が残っています。
投稿: kusano kyoko | 2020年3月 7日 (土) 11時06分