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2020年3月11日 (水)

身代金

四旬節第2水曜日、2020年3月11日のミサ福音朗読より

東日本大震災発生9周年。復興が「進んでいない」と考える人が約7割に上るとのこと。(時事通信の「東日本大震災」に関する世論調査)。

物事には原因があって結果がある、と考えられる。大震災の原因は科学的に究明されているのだろうか。 神の創ったこの世界になぜこのような自然災害が起こるのか。神が創った世界は「極めて良かった」(創世記131)はずである。

さてイエスは弟子たちに受難の予告をする。しかし弟子たちはイエスの言葉を理解しない。それどころか政権獲得後の自分たちの権益をめぐる思いを露骨に持ち出して仲間争いをしている。イエスの思いと弟子たちの思いの間には大きな隔たりがある。わたしたちにはむしろ弟子たちの思いのほうがわかりやすいのではなかろうか。

イエスは自分の十字架の死を「多くの人の身代金として自分の命を献げる」こととしている。これはどういう意味だろうか。イエスの死とわたしたち人類の救いとの間にはどのような関係があるのか。通常の「因果応報」の原理を適応できるのだろうか。ここに深い神秘が存在する。多くの人々の考察が残されている。

 

福音朗読  マタイによる福音書 20:17-28
イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」
そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

 

 

 

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コメント

旧約聖書の、神が創った極めて良かった世界から、イエスの受難へ。イエスの十字架の死は、多くの人の身代金として自分の命を献げたもの。イエスの死と人類の救いというこれまで考えなかったテーマについて考える機会を与えていただきました。「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人が権力を振るっている。しかし、あなた方の間ではそうあってはならない。」 というイエスの言葉。 今の日本、東日本大震災からの復興も、新コロナウイルス対策も、政権の間違った思惑に振り回されませんように。

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