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2020年3月24日 (火)

コロナウイルス騒ぎのなかで

四旬節第4火曜日

 

イエスは安息日に、38年間病気で苦しんでいた人を癒した。それは安息日の掟を破ることであるとユダヤ人たちは考えた。

イエスとユダヤ人、律法学者、ファリサイ人との対立は、イエスが安息日の掟を侵したことによって始まったと思われる。

ユダヤ人にとって安息日の遵守は非常に重要だった。しかるにイエスは「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」「人の子は安息日の主でもある。」と宣言している。

さて、いま新型のコロナウイルス感染で世界中が大騒ぎ。この時を使って。安息日の意味を考えてみるのもよいと思う。

安息日に医療行為を行っていけないわけではない。他方、ミサも行われない特別な時、神の存在、神の創造のみわざ、イエスの復活、聖霊の働きなどを黙想しましょう。

 

 

福音朗読  ヨハネによる福音書 5:1-3a、5-16
(ユダヤ人の祭りの日に、)イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。
さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。

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コメント

「安息日は人のために定められた。人は安息日のためにあるのではない」、という言葉どおり、イエスは安息日に病気に苦しむ人を癒して、いつの間にかその場を去っていく。心に残るイエスの行動。お説教にありますように、この状況下でこそ、神の存在、聖霊の働きなどについて真剣に考えることができるようにも思えます。

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