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2020年3月23日 (月)

新しい天と新しい地

四旬節第4月曜日のミサ朗読・福音より

 

コロナウイルス感染拡大に怯える世界に向かって今日の福音朗読とイザヤ書65勝はまさに希望の便りであろう。

 

カファルナウムの役人の息子が瀕死の重態であったがイエスが「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」と言われたときにその息子は回復した。この癒しはイエスが行った二回目のしるしであった。しるしとは何のしるし。「神の国の到来」のしるし、と言われています。「神の国」とは・・・別項にしましょう。
さてイザヤ書の65章。すばらしい希望の預言。神は「新しい天と新しい地」を創造する、と言う。喜びと楽しみの世界。どんなことが過去にあってももう問題ではない。百歳であっても若者とされる。・・・悲惨な体験、紀元6世紀のバビロン捕囚からの帰還の時に神から受けた預言であると解説されている。
ところで創世記では「神がお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31-32)とあったではないか。極めて良かったものが堕落して今の世界、悲惨・悲劇が絶えない世界になったのか。
そもそも神にとって時間は「永遠の今」ではないか。全知・全能の神は堕落する世界を知っていたはずでは。極めて良かった世界はこのイザヤの「新しい天と新しい地」のことだろうか。ヨハネの黙示では「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た」(黙示21・1)とあるではないか。創世記の初めから神はヨハネの黙示の「新しい天と新しい地」を見ていたのだろうか。
神の創造と神の時間、という神秘。

 

第一朗読 イザヤ書 65:17-21
(主は言われる。)見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に達しない者は呪われた者とされる。彼らは家を建てて住みぶどうを植えてその実を食べる。
福音朗読  ヨハネによる福音書 4:43-54
(そのとき、イエスはサマリア)を出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。
イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。

 

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コメント

イザヤ書で、主が、「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する」、と言われたこと、から、ヨハネの福音書で、イエスが病人を癒されたこと、そして、「私は、また新しい天と新しい地を見た」、とおっしゃったことまで、旧約聖書からずっとつながり、わたしたちに希望を与えてくれる神のお言葉についてのお説教。ありがとうございました。

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