父と呼ばれてはならない
四旬節第二火曜日の福音朗読から
コロナウイルス感染の恐怖の蔓延の中今日もわたしたちはイエスの「過激な」発言を聞く。あなた方は「先生」と呼ばれてはならない。地上の者を「父」と呼んではならない。
この教えをどう受け取ったらよいだろうか。かつてこの箇所につき仲間の司祭と議論をしたが結論に至らなかった。カトリック教会は位階制の教団、聖職者の敬称が定着している。いや教会に限らずどんな団体にも敬称は存在する。社会生活上不可欠な習慣であろう。プロテスタント教会では牧師の敬称はどうなっているのだろうか。カトリックでは,英語で言えば、The Reverend Father, Excellency, Grace, Eminence, Holinessなどの敬称が使われている。そうしないと社会生活上円滑を欠く。本人たちもそう呼ばれないと違和感、あるいは不快感を持つことがある。地上の父は天上の父の不完全な代理、地上の先生は本当の先生であるキリストの影のような写しである、という自覚をいつも持っていることが必要だ。そういえば、教皇は『僕たちの僕」という美しい名称をもっている。
福音朗読 マタイによる福音書 23:1-12
(そのとき、)イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
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イエスが群衆や弟子を前にして、律法学者やファリサイ派の人々のことを厳しく戒めている言葉は、今日の先生と呼ばれるさまざまな人に当てはまる。聖書の中にこのようにく強い調子で事細かく記述されているのは印象的です。
あなた方は「先生」と呼ばれてはならない。あなた方の教師はキリスト一人だけ。地上の者を「父」と呼んではならない。あなた方の父は天の父おひとりだけだ。大切なお言葉。
投稿: kusano kyoko | 2020年3月11日 (水) 23時12分