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2020年4月16日 (木)

マルコの福音最後の箇所

の土曜日ミサ説教


2020年4月18日(土)

今日のマルコの福音は最後の部分ですが、 学者の説明によると、この部分は後から付け加えられた部分であるとされています。マルコの福音は、イエスの墓が空であったと言う記述で一旦終わっているが、のちにこのマルコ16章9節~15節が付け加えられたということが大方の意見であります。しかしこの部分が正典であるということについては、教会として疑いを持っていないのであります。
さて、今日の福音朗読を読んで感じることは、イエスの復活を信じるというはそう易しい事ではなかったということです。繰り返し「信じなかった」、「信じなかった」、そしてイエスが人々の「不信仰とかたくなな心をおとがめになった」と出ております。
復活したイエスに出会った人はイエスを信じましたが、復活したイエスに出会ったこと、イエスが生きておられるということをマグダラのマリアなどが他の人々に告げ知らせても、聞いた人はすぐには信じなかったようです。
復活を信じるということはどういうことでしょうか。
昨日の福音でもそのことを取り上げたのですけれども、わたしたちは復活を信じた人の証言に基づいてイエスの復活を信じているのです。トマスに「見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と復活したイエスは言われたのであります。
わたしたちは復活の証人となりました。復活の証人として生きるという事はどういう事なのだろうか。今日の福音の結びは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」『福音を宣べ伝えなさい』といわれました。わたしたちにとって、またわたしたち一人一人にとって、福音とは、何であるのか、福音を宣べ伝えるというのは何をすることなのか、そのことが重大な問題、重大な課題として問われていると思います。

現在世界中がコロナウイルスの蔓延という非常事態にあります。多くの人々が不安の中で必死でこの問題に取り組んでいます。主の復活は必ず世界にこの問題の解決をもたらすでしょう。死に打ち勝つわたしたちの信仰がその証をすることができますように祈ります。
明日は復活節第二主日、聖ヨハネパウロ二世によって「神のいつくしみの主日」とされました。神の慈しみを深く味わいながら、神の慈しみを証することが出来ますよう、祈りたいと思います。復活の土曜日ミサ説教

昨日の福音でもそのことを取り上げたのですけれども、わたしたちは復活を信じた人の証言に基づいてイエスの復活を信じているのです。トマスに「見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と復活したイエスは言われたのであります。
わたしたちは復活の証人となりました。復活の証人として生きるという事はどういう事なのだろうか。今日の福音の結びは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」『福音を宣べ伝えなさい』といわれました。わたしたちにとって、またわたしたち一人一人にとって、福音とは、何であるのか、福音を宣べ伝えるというのは何をすることなのか、そのことが重大な問題、重大な課題として問われていると思います。

現在世界中がコロナウイルスの蔓延という非常事態にあります。多くの人々が不安の中で必死でこの問題に取り組んでいます。主の復活は必ず世界にこの問題の解決をもたらすでしょう。死に打ち勝つわたしたちの信仰がその証をすることができますように祈ります。
明日は復活節第二主日、聖ヨハネパウロ二世によって「神のいつくしみの主日」とされました。神の慈しみを深く味わいながら、神の慈しみを証することが出来ますよう、祈りたいと思います。

 

 

 

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コメント

人々はイエスの復活をすんなり簡単に信じたわけではなかったが、復活を信じた人たちの証言に基づいてイエスの復活を信じる。それは復活の証人として生きるということである。マルコの福音の結びには、全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい、と述べられている。 これは信者として生きる者の忘れてはいけないこと。
このところ新約聖書のことをいろいろお教えいただきありがとうございます。

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