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2020年4月26日 (日)

信仰の分かち合い

復活節第3月曜日

「神の業を行うためには、何をしたら良いでしょうか」という問いに対して、イエスはお答えになられました。
「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
今日の答唱詩編の答唱は、「神のみ旨を行うことは、わたしの心の喜び」であります。
神のみ旨、神のみこころを行うことができるようにと、わたしたちも日々祈っています。
「主の祈り」は「みこころが行われますように」と祈っていますが、わたしたちを通して、わたしたちにおいて、神のみこころ、主のみこころが行われますように、わたしたちが主のみこころを行う者となることができますように、という意味を込めての祈りであります。神の業、つまり神のみこころを行うためには、神がお遣わしになった者を信じる者でなければならない。

イエスはフィリポに言われました。「わたしを見る者は、父を見るのである。」
さらに、「父がわたしにおり、わたしが父の内におられることを、どうして信じないのか」という言葉であります。
神のみこころを行う者となるためには、信じる者でなければならない。
「信じる」という最も単純なことですが、それがかえって難しい場合もあります。
イエスの弟子たちもなかなかイエスを信じ、生きることができなかった。
過越の神秘、死から命への過越の神秘を目の当たりにし、復活したイエスに出会って
彼らは少しずつ復活したイエスキリストを認め、受け入れるようになったのでありました。
わたしたちの場合は、復活したイエスに出会った人たちがつくった教会に加わっており、
復活を信じて復活を証しした人の信仰のいわば繋がりの中に置かれています。

信仰の分かち合いが 大切と考えます

 

 

 

 

 

 

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コメント

神のみ旨は、わたしたちが神がお遣わしになったイエスを信じて主の御心を行う者になること。 復活したイエスに出会った弟子たちもは少しずつイエスを認めるようになったのであるが、今の私たちは直接イエスに会うことはできない。私たちにとっては復活したイエスに出会った人たちによって作られた教会が信仰を分かち合うところ大切な場所である。
とても丁寧にお教えいただき、教会の意味について改めて考えることができました。

「いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物」とは何でしょうか。アレルヤ唱に「人はパンだけではなく、神のことばによって生きている」とあるので、それは神のことばのことでしょうか。つまりキリストご自身。
「いつまでもなくならない」というのは、はじめから形のあるもののことではない、ということでしょうか。

「何をしたらよいのか」と言う群衆に、イエスは「神がお遣わしになった者を信じること」とお答えになりました。
何かを「する」ことより、まず「信じること」が大切だと教えて下さっていると思いました。

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