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2020年4月 6日 (月)

ユダの裏切り

受難の火曜日ミサ説教

20204月7日、本郷教会

 

今日は受難の火曜日です。今日の福音朗読はヨハネによる福音で、イスカリオテのユダの裏切りという劇的な場面を伝えています。

イエスは、過越祭の前に弟子たちと食事をしましたが、その時言われました。

「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

弟子たちは非常に驚きました。福音書は述べています。

「イエスの愛しておられた者」がイエスに『主よ、それはだれのことですか』と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。・・ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。」

イエスからパンを受け取った時にユダは裏切りを決意したのでしょうか。「夜であった」という表現が印象的です。闇に覆われる夜は罪の支配の時を現しているかのようです。

なぜ、ユダはイエスを裏切ったのでしょうか。ユダもイエスが選んだ12使徒のひとりです。イエスは、ユダへ期待したので、彼を選んだのではなかったでしょうか。彼が裏切ることを知っていたのに、それでも彼を選んだとは考えにくい。ユダの期待にイエスが応えなかったので、彼はイエスから離れていったのだろうと思われます。ユダはイエスに何を期待していたのでしょうか。この世における成功と権威に参加できるという期待があったのでしょうか。

イエスの裏切りの動機について種々に言われています。

ユダが他の弟子たちを嫉妬していたたからとか、イエスに失望したからとか、弟子たちの中で孤立していたから、という人もいます。

他方、ペトロの方は、イエスの身の上に異変が起こることを知って訊ねました。

「『主よ、どこへ行かれるのですか。』イエスが答えられた。『わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。』ペトロは言った。『主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。』イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」」

イエスのためなら命を捨てるといったペトロの心には偽りはありませんでした。しかし、彼は自分の弱さを知りませんでした。結果はイエスの予言通りとなりました。

ユダもペトロも「裏切り」は同じです。しかし、その動機と結果は違っています。

 聖週間は、イエスをめぐる人々の心の動きを追体験するときです。その気まぐれな群集心理、臆病な弟子たち、自己保身を優先する指導者たち、人々の人間の心に住んでいる残酷さ。そのような状況でイエスは最後まで、平和で和な態度を保持しました。イエスはあくまでも、今日の第一朗読、イザヤの預言の言葉「わたしの神こそ、わたしの力(495)」という父への信頼を生きていたのです。このイエスの生き方を見つめながら、わたしたちが死と復活の過ぎ越しの神秘に深く与ることができますよう、祈りましょう。

 

第一朗読  イザヤ書 49:1-6
島々よ、わたしに聞け遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び、母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して、わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
わたしは思った、わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。
主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ、イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを、御自分の僕として形づくられた主は、こう言われる。
わたしはあなたを僕として、ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

福音朗読  ヨハネによる福音書 13:21-3336-38
(そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、)心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。

さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

 

 

 

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コメント

有名なユダの裏切りの話なのに、私は、ユダの行動や心の揺れ、裏切りの理由などについて考えたこともなく、またその時のペトロのことも知らないままでした。この大切な受難の日のお説教を静かな気持ちで拝読いたしました。イザヤ書の前半は、神がイスラエルに語りかけているように思いましたが、終りの方ではイエスに語っているように思えました。 

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