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2020年4月23日 (木)

五つのパンと二匹の魚

復活節第2金曜日

 

ヨハネの福音6章。ご聖体の教えと考えられます。

五つのパンと二匹の魚。分かち合うことにより五千人の給食となったというお馴染みのお話。

現代世界の諸問題もこの精神を適用すれば解決の道を見つけられる。

いまはコロナウイルス禍。国境を越え体制を越えて被害防止に協力すれば難局を克服できると考える。自分の都合から抜け出て隣人と苦楽を共にすることに聖体の意味があると思われる。

 

福音朗読  ヨハネによる福音書 6:1-15

(そのとき、)イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

 

 

 

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コメント

五個のパンと二匹の魚を五千人の群衆に分けて満腹にさせたあと、人々が自分を王にするため連れて行こうとしているのを知り、一人でまた山に退かれた、と記されている。人々を救った後イエスはこのように立ち去る場面が多いのが印象的です。聖体の教えとは、自分を犠牲にして救いを行っているイエスのことを意味するのかな、と思いながら拝読いたしました。

「我慢する」「抑える」ではなく、「抜け出る」ということばが残りました。
狭い自分から抜け出ることができる時、より自由な、新しい自分に生きる世界が広がるのですね。あなたは本当はどう生きたいのだ、と問われている気がします。

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