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2020年4月 3日 (金)

復讐

四旬節第5金曜日 

エレミヤ書。エレミヤの訴え。「わたしに見させてくださいあなたが彼らに復讐されるのを。」これは気になります。この気持ち、わからないではないが。しかし自分で復讐するのではなく主に復讐を任せる。ローマ書にも同じ趣旨が出ている。復讐は神に任せない。自分で復讐しないで敵のために祈り悪に対して善をもって報いなさい。

ヨハネの福音。イエスは冒涜の罪を問われる。イエスの主張。神は自分の中にいる。神の子なら神が宿っている。人は神の子。神である「神性」が神の子には与えられている。

それではわたしたちの場合はどうだろうか。自分が神の子であるとはどういうことだろうか。死にゆく人間が神の子とは死を超えた命を前提にしないでは考えられない。

 

第一朗読  エレミヤ書 20:10-13
わたしには聞こえています多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。
しかし主は、恐るべき勇士としてわたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき勝つことを得ず、成功することなく甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのないとこしえの恥辱である。万軍の主よ正義をもって、人のはらわたと心を究め見抜かれる方よ。わたしに見させてくださいあなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明けお任せします。主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。

福音朗読  ヨハネによる福音書 10:31-42
(そのとき、)ユダヤ人たちは、イエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。すると、イエスは言われた。「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒涜したからだ。あなたは、人間なのに、自分を神としているからだ。」そこで、イエスは言われた。「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。イエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所に行って、そこに滞在された。多くの人がイエスのもとに来て言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」そこでは、多くの人がイエスを信じた。

 

 

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コメント

内心はっとするタイトルです。これまで生きてきて自分になかったとは言えない感情。お説教の「復讐は神に任せないで敵のために祈り悪に対しても善をもって報いなさい。」は大切なお言葉です。エレミヤの激しい訴えと復讐を求める言葉にも主への賛美と信頼が込められていて、ヨハネの福音書では、ユダヤ人との対話を通してイエスは、人は神の子、という意味をあらためて教えてくれていると思いました。

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